LIFE SHIFT(ライフ・シフト)(令和6年8月3日)

 安部政権時代、リンダ・グラットン教授は「人生100年時代構想会議」の有識者議員に選ばれました。 その著書「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)」は、「誰もが100年生きうる時代をどう生き抜くか。」「働き方、学び方、結婚、子育て、人生のすべてが変わる。」 目前に迫る長寿社会を生きるバイブルになっています。
 前回のブログで本屋大賞を受賞した「成瀬は天下を取りに行く」を息子たちに手渡した話を書きましたが、その時この本も一緒に渡しました。 少し長くなりますが、ネットに掲載されていた著者の言葉を転載します。
 みんなが足並みをそろえて教育、勤労、引退という3つのステージを生きた時代は終わった。では、どのように生き方、働き方を変えていくべきか。 その一つの答えが本書にある。100歳時代の戦略的人生設計書。今こそ、自分の人生を生きよう。 人生100年時代には、私たちを取り巻く社会も経済も、人間の心理も医療も、人口構成も変化していくでしょう。 そんな時代の最大のテーマは、あなた自身が、自分の人生をどのようなものにしたいか、ということ。 100歳になったあなたは、いまのあなたをどう見るでしょうか。あなたが下そうとしている決断は、未来の自分の厳しい評価に耐えられるでしょうか。 この問いこそ、長寿化という現象の核心をつくものです。「自分はどう生きるか」という問いに、真摯に向き合う時代がやってきたのです。
1.私たちは本当に100年も生きるのか
 『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』には、2つのデータが紹介されています。1つは、2007年生まれの子どもの半数が、日本では107歳まで生きうること。 もう1つは、平均寿命世界1位の国をグラフ化すると、寿命が2年ごとに平均2ー3年のペースで上昇していること。 つまり、いま50歳未満の日本人は100年以上生きる時代を過ごす可能性が高いといえます。 さらに、いま80歳の人は、20年前の80歳よりも健康です。私たちはより若く、より健康に長い時問を過ごすかつてないチャンスを手にしているのです。 人生が長くなれば、変化を経験する機会も増えます。
2.3ステージからマルチステージへ
 20代から60代という時期を、仕事一辺倒、キャリアアップ一筋で過ごさない。自分をすり減らすような仕事の仕方は避ける。 仕事・学び・遊びのバランスをとりつつ、柔軟に人生を組み立てていく。これは、いまの日本の働き方改革に求められるものではないでしょうか。 長時間労働を見直し、自分らしい人生を生きる。「不快で残酷で長い」人生ほどつらいものはありません。それを避ける新しい試みは、すでに始まりつつあります。 20歳前後まで教育を受け、65歳までバリバリ働き、その後は引退して余生を楽しむー。多くの日本人がこうした3ステージの人生を想定してきたと思います。 しかし、会社も政府の年金もあてにならないいま、65歳までの働きでその後の長い人生を賄うほど貯蓄をするのも難しいでしょう。 となれば、できるかぎり健康に過ごし、より長く働くことが求められます。そうした生き方を可能にする新しいモデルがマルチステージの人生です。
3.お金だけが資産じゃない
 マルチステージを生きるために『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』で重視されているのが、「無形資産」です。無形資産には、生産性資産、活力資産、変身資産の3つがあります。
 1.生産性資産:主に仕事に役立つ知識やスキルのこと。
 2.活力資産:健康や、良好な家族・友人関係のこと。
 3.変身資産:変化に応じて自分を変えていく力のこと。
もちろん、マイホームや現金や金融商品のような「有形資産」が重要なことは、言うまでもありません。 ですが、お金を稼ぐのは、それを欲しいモノと交換できるから。お金それ自体を目的にしているわけではないのです。 無形資産は、「よい人生」を送るうえで価値があるだけでなく、有形資産の形成を後押しするという点でも、重要な資産です。 有形であれ、無形であれ、資産はきちんとメンテナンスをしないと、価値が減じます。 無形資産を蓄積していくには、有形資産に偏りがちだったこれまでの時間の使い方も見直す必要があります。
4.いま、人生100年時代のライフシフトへ
 長寿化は、社会に一大革命をもたらすと言っても過言ではありません。人々の働き方や教育、結婚の時期や相手、子どもをつくるタイミングも変わります。 余暇時間の過ごし方も、社会における女性の地位も変わるでしょう。そして、最も大きく変わることが求められるのは個人です。 あなたは親の世代とは異なる選択をすることになるし、あなたの子どもたちもあなたの世代とは違う決断をするのです。 長寿化を恩恵にするためには、まず視野を広げること。長く生きられるようになった年月の大半を、私たちは健康に生きることになります。 人生の締めくくりの時期への準備だけでなく、人生全体を設計し直す必要があるのです。
 世界でいち早く長寿化が進んでいる日本は、ほかの国々のお手本になれます。 活力と生産性を維持して長い人生を送り、人生の途中で変身を遂げることの重要性を実証するという意味でも、世界の先頭に立ってほしいと思っています。

『LIFE SHIFT』著者 リンダ・グラットンより

 私に残されたステージは後僅かですが、息子や孫たちが人生100年時代にどんなステージを歩んでいくのかが楽しみです。

成瀬は天下を取に行く(令和6年7月4日)

 週一回の通勤で利用するJR膳所駅のエスカレーターを上ったところに、 観光船ミシガンをバックにびわこ観光大使のタスキをかけた成瀬あかりと島崎みゆきの巨大なポスターがあります。 全国の書店員が「いちばん売りたい本」を投票で選ぶ今年の「本屋大賞」に、 大津市在住の宮島未奈さんのデビュー小説、「成瀬は天下を取りにいく」が選ばれたことを知ったのは、高校の同窓生からのLINEです。 早速、会社の近くのショッピングモール「Oh!Me大津テラス」で買い求めて読み始めました。 私の故郷の大津を舞台にした6つの短編からなる青春小説です。 第1話の舞台は4年前に閉店した「西武大津店」。 「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」という書き出しで始まります。 成瀬の友人の名前は島崎みゆき、息子の嫁と同姓同名の登場人物に驚かされました。 コロナ禍のさなか、閉店をひかえる西武大津店に通ってテレビの中継に映ろうとする主人公、成瀬あかりと地元の人たちの間に交流が生まれます。 ほかにも、びわ湖の観光船ミシガンや私の母校の膳所高校なども登場し、わが道を突き進む成瀬の姿がユーモラスに描かれています。
 続編の「成瀬は信じた道をいく」の第3話では、成瀬がバイトしているOh!Me大津テラスにあるスーパー「フレンドマート」が舞台です。 ここに通うクレーマー主婦が主人公で、自分がクレーマー体質というめんどくさい性格と分かりながらもやめられない彼女が成瀬と一緒に万引き犯を捕まえようとすることで、 自身を受け入れていきます。 出勤した日にお昼のお弁当を買うのがここのフレンドマートです。 いつも590円のウナギ弁当と缶ビールを買ってイートインの電子レンジで温め、琵琶湖畔のベンチに腰を下ろします。 丁度食べているときに観光船ミシガンが目の前を進んで浜大津港に戻ります。 自分の生活圏とこんなにラップしている小説と出会うのは初めてです。 先日、東京と千葉に住む息子たちファミリーと箱根で合流した際にその本を手渡しました。 今度会う時に同姓同名の息子の嫁に感想を聞いてみたいと思っています。

 三井の晩鐘(令和3年12月2日)

 『むかし、近江の里に漁を生業とする一人の優しい若者が住んでいた。ある日、みめうるわしい娘が現れ、若者と夫婦になる。 ところが娘は竜の化身で神の掟に従って湖の底に帰って行く。が、夫婦の間には一人の子供があり、乳をもらえず毎晩泣く。 夫は乳飲み子を抱いて湖畔に立ち、妻を呼ぶ。その声に妻は、母のにおいがするからと言って、自分の目玉をくり抜き、乳の代わりに赤子に与える。 めくらになった竜女は、夫とわが子がいつまでも無事に暮らしている証に毎晩、三井寺の鐘をついて安心させてくださいと言って、暗い湖の底に沈んで行った。』 近江むかし話にある伝説「三井の晩鐘」のストーリーです。
 琵琶湖沿岸の景勝地を示す近江八景の「三井の晩鐘」は知っていますが、この伝説とそれをモチーフに童画を描いた三橋節子さんのことを知ったのは、梅原猛著作集の「湖の伝説」です。 三橋節子さんの人生は次のように紹介されています。
『三橋節子さんは昭和14年に京都で生まれました。画が好きだったので、京都市立美術大学へ入ったのでしょうが、在学時代に、とりわけ鋭い才能を発揮したというわけではありません。 彼女の画が、やっと人々の注目を引き出したのは、大学の専攻科を卒業してからです。 彼女は、子供のときから、はなはだ草花が好きだったということですが、彼女は好んで、ほとんど人目につかない雑草のたぐいを画にしました。 彼女のこの雑草への愛は、やがて、彼女が生んだ長男に草麻生、長女になずなという雑草の名をつけたほどでした。 ところが昭和42年の末から翌年にかけてのインド旅行が彼女の画を変えてしまいます。 彼女は貧しいながらも、大地に密着して生きているインドの人間に強い共感を持って帰ってきます。 そしてその後数年間、インドの画を描き続けますが、インドが彼女に人間を発見させたと言ってよいかも知れません。 また彼女はインドから帰った年に、鈴木靖将さんという画家と結婚し、琵琶湖の見える大津市の長等の里に家をかまえ、幸福な家庭をいとなみます。 やがて長男草麻生が、そして長女なずなが生まれますが、彼女の創作活動は一向おとろえず、次から次によい画が生まれました。 こういう幸福の頂上にあった節子さんを、病気がおそったのです。 彼女は以前から腕の痛みを覚えていたものの軽く考えていたのですが、病院で診てもらったところ、右肩に悪性の腫瘍ができているので右腕を切断する必要があり、たとえ切断しても、余命は多く望めないとのことでした。 ご主人の靖将さんは「節子は画かきだから」と言ってそれを知らせました。 画描きはあくまで、真実を見つめるべきだというのが二人の信念であったからでしょうが、これが節子さんをして残された時間の中で、すばらしい画をかき続けさせた要因になったことは間違いありません。 節子さんが入院したのは昭和48年でしたが、その前日に、彼女は「湖の伝説」という一枚の画をかき上げました。 これは赤い着物を着た女が、湖のほとりで、子供をかかえて立ち、その足もとに、鴨が白く横たわっている画です。 ここには節子さんの希望と不安がよく現れています。 節子さんの手術が行われたのは3月ですが、この月の末にはもう左手で節子さんは、字の練習をし、秋には、いつものように、百号の画を2点、新制作協会展に出品しました。 普通交通事故などで右腕を失った人が、左腕でどうにか字が書けるようになるのは、少なくとも半年間はかかるそうです。 もとより、画家にして利き腕の右腕を失い、左腕で画をかき続けた例は皆無であり、医者をはじめ、だれ一人節子さんの再起を信じた人はいませんでした。 「三井の晩鐘」「田鶴来」と題されるこの2点は、いずれも、近江の伝説をテーマにしたものですが、この画には彼女の夫や子供たちへの愛と別れの悲しみがにじみ出ていて、見る人の心におおきな感動を与えずにはいません。 その暮、ガンの肺への転移が発見され、二度目の入院手術となりましたが、この時は、もう手術も十分できずに、翌年の1月に退院ということになります。 それでも彼女は画をかくことをやめませんでした。彼女はわが子に童画を残してやろうと思います。そして童画の中に、彼女の理想をもりこもうとしたのです。 この童画の主人公が、くさまおになっているのはそのためでしょうか。彼女はわが子の草麻生にこの童画の主人公の如く慈悲と勇気にとみ、かつユーモアを解する人間になってほしいと思ったに違いないのです。 そしてこの年の秋には、彼女は、やはりこの童画の一場面「雷獣」と、「花折峠」という花でかざられた彼女自身の涅槃像というべき、大変悲しく、また美しい画を出品しました。 そしてこの年の暮、いよいよ病気はつのり、三度目の入院、翌年昭和50年の2月24日、彼女は「幸せやった」と周囲の人に感謝して、亡くなりました。』
 三橋さんが長等で画をかれていた時期は、私が大津に住んで高校、大学生活を送っていた時期と重なり、どこかで出会っていたかも知れません。 左手で字の練習をされていたノートに住所が書かれていたので、グーグルで探してみると、隣の小学校区で先祖の墓のある青龍寺のすぐ近くです。 今は自宅跡が美術館になっているようで、今度ぜひ尋ねてみようと思っています。

 定年後の居場所(令和3年7月19日)

 自宅の本棚を見るとこれまでの人生で何に悩んでいたのかが分かります。 30歳代半ばで転職を考えていた頃にメンタル面で支えになったのは本多信一さんの本です。 中央大学法学部を卒業後、時事通信社を経て、現代職業研究所を設立されました。 「内向型人間のお仲間」のため「個人のための無料職業&人生相談業」を天職と考え、執筆活動と相談業を行って来られました。 中年の頃は、サラリーマンたちの人生を見つめた数多くの著作がある江坂彰さんの本や、玄侑宗久さんの仏教関係の本が中心になりました。 還暦を迎える頃は、3,000人以上の定年退職者に取材するなど、生活者の視点から取材執筆活動を続けてこられた加藤仁さんの本など、定年後の人生をテーマにした本が多くなりました。 最近は自分が住んでいる奈良の歴史や文化に関する本が中心になりましたが、今でも高齢者の生き方は気になるテーマです。 先日の読売新聞の夕刊に、ベストセラーとなった「定年後」の著者楠木新さんの「定年後の居場所」と題する記事が紹介されていました。
 定年後に自由になる時間は平均余命から算出して10万時間あると言われています。 これは40年間勤務する労働時間よりも長く、人生100年時代とはだれもが第2の人生を持てることです。 これを充実させるのに必要になるのが自らの居場所です。 単に空間的な居場所ではなく、自分が自分らしくなれるものは何かということです。 多くの人はこの居場所を持てるかどうかに関心を持ち不安にもなっています。 その中でうまく居場所を見つけている人に共通点があることに気付いたそうです。 それは自分の持っている物にヒントがあります。 子供の時代からモノ作りが好きで通信会社員から提灯職人に、鉄道会社員から蕎麦打ち職人になった人。 つまり居場所は自分の外に求めるよりも内側から抜き出すと見つけやすいとおっしゃっています。 そして居場所づくりのヒントとして次の5つの項目を挙げています。
1.稼ぎよりも自分の合ったことを
2.1つでなく複数合わせ技でよい。
3.自分が「いい顔」になれるものが一番。
4.生い立ちや趣味、経験など自分の中にヒントがある。
5.現役時代から助走期間を設け探す準備を。
 定年後の働き方をメインテーマに話されていますが、私の場合、働く場としての居場所づくりができたのは、4と5が当てはまります。 現役時代に取得した建設部門の技術士の資格を活かして、週に一回大津にある設計コンサルタントに勤めています。 一貫して鋼橋に関する仕事をしてきましたが、ここでの守備範囲は広く、橋の補修や撤去から道路や河川に関わるのも面白く、1にも該当します。 この歳になっても安定して働く場所がありますので、私の居場所の多くは2、3が当てはまる遊びの中にあります。 その中で一番好きな遊びはゴルフです。月に3回大学の同級生の気の置けない連中とラウンドしています。 もうひとつ空間的な居場所が尾鷲市梶賀にある山小屋です。 屋根の修理から床下の除湿まで一戸建てに関するリフォームの全てをDIYで経験してきました。 この経験と一級建築士の資格で移住者の方にリフォームのアドバイスをしています。 タイムシェアリング的に遊び場を換えていますが、共通のコンセプトは楠木さんのおっしゃるように自分が「いい顔」になれるかどうかです。 「遊びをせんとやうまれけむ。」限られた残りの人生をこの詩のように生きて行こうと思います。

 人新生の資本論(令和3年6月17日)

 地球上の岩石層に残された生物の化石などをもとに時代を区分する地質時代では、時代の区分は大きなものから「代」と呼ばれ、それが「紀」に分かれ、さらに「世」に分かれるそうです。 私達人類の活動は、地球の歴史の中でほんの1万1700年ほど前の「新生代・第四紀・完新世」に始まり、現代まで続いていると言われています。 しかし、産業革命以後の約200年間に人類が地球の生態系や気候に及ぼした影響はあまりにも大きく、もはや人類中心の次の地質時代、「人新世」に突入していると考えられています。
 半分リタイアーしてから毎日読書をするのが習慣になり、司馬遼太郎氏の日本史や塩野七生氏のローマ史をテーマとしたスケールの大きい作品に親しんできましたが、 今は日本文化史や仏教関係の著作が豊富な梅原猛氏の著作集を読み進めています。 万葉集をテーマにしたさ「さまよえる歌集」は厚さが5cmもあり、持って読むと手が疲れるので、テーブルに足を載せその上に置いて読んでいます。 電車の中やちょっとした空き時間に読む本は、小さくて持ち運びしやすい文庫本を選ぶようにしていますが、最近読んだ本の中で印象深いのは、「新書大賞2021」受賞作の『人新生の「資本論」』です。 著者は1987年生まれの社会思想家で大阪市立大学大学院経済学研究科准教授の斎藤幸平氏。 フンボルト大学で学位を取得し、権威ある「ドイッチャー記念賞」を日本人初歴代最年少で受賞されました。 NHKのテレビ番組「100分de名著」でマルクスの『資本論』の解説もされていて、出身大学が同じという縁もあり、親近感があります。
 『人新世の「資本論」』では、他者の犠牲の上に成り立つ大量生産・大量消費型の資本主義社会を批判しています。 先進国で暮らす人々は、豊かで便利な暮らしを送ってきました。スーパーやコンビニに行けば何でも手に入ります。 しかし、それは途上国の人々の犠牲の上に成り立っているのです。例えば、大量生産されるファスト・ファッションの洋服のコットンのためにインドの土地は疲弊し、労働者たちの健康は蝕まれています。 そして、コットンを縫製するのは、劣悪な労働条件で働くバングラデシュの労働者たちです。 また、資本主義の活動が世界中のあらゆるところで、修復不可能なほどの環境破壊を引き起こしています。 それが「人新生」と呼ばれる現代だということです。その環境破壊の中でも、とりわけ、二酸化炭素の排出による気候変動は非常に深刻なものになっています。 甚大な被害をもたらす豪雨やスーパー台風の襲来が毎年続き、ようやく日本人も気候変動の問題の深刻さに気づき始めています。 巷では、気候変動対策が、レジ袋やマイボトルのような話に矮小化されてしまっていますが、そんなものでは解決しません。 「SDGs(持続可能な開発目標)」でも「グリーン・ニューディール(技術革新による環境保護と経済成長の両立)」でも、加速度的に進む環境破壊と温暖化は止められません。 気候変動の原因は、利潤を際限なく追求する資本主義に他ならないからです。だから、この資本主義を越える社会に移行しなければ、人類に未来はない。それが脱成長社会です。 その時に重要なのが、教育、医療、水道、電気などを、市場の論理、投機・投資の論理から引き上げていくことです。 つまり、エネルギーや生産手段など生活に不可欠な<コモン>を自分たちで共同管理する「脱成長コミュニズム」に進まなければならないと提唱します。
 すでに多くの日本人は、おかしなことが起きていると感じています。でもこれまで通りのやり方に疑問を感じつつも、続けて行きたいとも思っています。 そうじゃない別の道について、ほとんど議論されていません。著者はこの本でその見方を変えていく必要があると主張しています。

 水底の歌(令和2年12月19日)

 「東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」
安騎野で軽皇子が狩りをした際、それに従った柿本人麻呂が詠んだものです。 東「ひむがし」の野に「かぎろひ」が立っているのが見えると詠んでいますが、この「かぎろひ」とは「明け方に東方に射す光」のことです。 この夜が明けるタイミングで西の方角を見ると、「月が傾いて沈もうとしていた」と続いています。 太陽(かぎろひ)を軽皇子、月を軽皇子の父である草壁皇子に例えて対比させているそうです。 草壁皇子は皇位継承を約束された人物でしたが、即位することなく28歳の若さで亡くなりました。 草壁の母で、軽の祖母に当たるのは持統天皇です。 持統は、草壁の子で自らの孫である軽皇子に皇位を継がせるべく、中継ぎ的な立場で自ら皇位に就きました。
 冬の早朝、ゴルフ場に向かう途中でこのかぎろひを見ることがあります。 上の方はまだ真っ暗ですが、青から赤みがかった青になり、地平線近くで赤く染まる空を見ると、この歌を思い出します。
柿本人麻呂は、石見国の国司として中央から赴任してきた宮廷歌人とされています。 しかし、梅原猛氏はその著書「水底の歌」で柿本人麻呂は持統天皇に寵愛され、宮廷歌人として高位に上りながら、皇位継承問題に巻き込まれ、 藤原不比等という権力者の登場によって、流人として諸国を放浪し、最後に石見国で刑死(水死)したとする説を立てます。 先ず、斎藤茂吉の示した、柿本人麻呂の亡くなった鴨山という地が石見国邑智郡の粕淵の地であるとする説の矛盾点を挙げ、 柿本人麻呂の晩年の歌に"水底"や"死"に関するイメージの多いことを中心に、鴨嶋という海上の小島に流罪となり、亡くなった説を挙げます。 次に、人麻呂の地位・年齢に関する賀茂真淵の解釈の矛盾点を挙げ、柿本人麻呂は柿本(獣編+爰:さる)と同一人物であり、地位も春宮大夫で天皇の側近くにある立場であった説を立てます。 そして人麻呂が正史に登場せず、歌集の中でのみ登場するのは、藤原政権による歴史隠蔽の為であり、逆に柿本(さる)が歌人として正史にありながら、 その歌が残っていないのは、その歌が人麻呂の作として歌集に載っているためであるとします。 そして"さる"とは"人"麻呂が政治事件に巻き込まれて罪人となったために名づけられた蔑称であり、万葉集にその歌が載せられたのは、 橘諸兄らによる怨霊の鎮魂と、藤原政権にたいする批判・牽制の意味合いがあったためであるとします。
 人麻呂が生きた6世紀から7世紀は、大陸では隋が滅び、唐が興り、朝鮮半島では新羅が勃興し、日本は白村江の戦いで唐と新羅の連合軍に敗れて百済を失うといった脅威に直面していました。 国内では、豪族の蘇我氏の権力に対する反攻(大化改新)があり、律令体制の構築という動きが起こります。 この時、大陸では女帝の則天武后の時代となっており、同じ女帝の持統天皇は影響を受けたようです。
 リタイアーして時間ができるようになれば特定の作家の作品を追いかけたいと思い、日本史の分野では司馬遼太郎氏、西洋史では塩野七生氏の作品のほとんどを読んできました。 そして今トライしているのが、日本文化史、仏教、哲学の梅原猛氏です。梅原さんは日本の文化を狩猟民族の縄文と農耕民族の弥生の2つの中心を持つ楕円に例えられました。 食の世界でそのハイブリッドな文化を象徴しているのが、ごはんの上に魚が乗った鮨(寿司)です。 鮨ともう一つの日本の食文化の象徴でもある日本酒を味わいながら、これからも日本文化の知識を深めていきたいものです。

 山川草木悉皆仏性(平成31年4月22日)

 「あの人に会いたい」は、亡くなられた著名な人々の言葉を今によみがえらせるNHKの番組で、毎週土曜日の早朝に放送されます。 先日の放送では、昨年亡くなられた哲学者の梅原猛さんが取り上げられていました。 これまで、司馬遼太郎さんの作品で日本の歴史を学び直し、塩野七生さんの歴史エッセイでギリシャ・ローマ時代の歴史を知り、 次に哲学の本を探していた時に出会ったのが梅原猛さんの「人類哲学序説」です。 本の内容は次の様に紹介されています。 『日本には「草木国土悉皆成仏」(「山川草木悉皆仏性」とも言う)という偉大な思想がある。 原発事故という文明災を経て,私たちは何を自省すべきか。 デカルト、カント,ニーチェらを俎上に近代合理主義が見落としてきたもの、人間中心主義が忘れてきたものを検証し、 持続可能な未来への新たな可能性を日本の歴史のなかに見出す。ここに、新たな「人類哲学」が誕生する。』
 生きとし生きるものすべては、因縁和合して、今そういう形に生を受けたのであって死んだその後は、また違うものに生まれる。 私たちの生命は悠久の過去から輪廻転生を繰り返していると説かれる天台本覚の思想をベースにした哲学です。
 哲学者梅原猛さんは、法隆寺建立の謎に迫る「隠された十字架」をはじめ、学会の常識にとらわれない大胆な仮説を展開し、多くの議論を巻き起こしました。 日本の歴史や文化、思想を独自の解釈で読み解いた梅原さんの学問は、梅原日本学と呼ばれ、平成11年に文化勲章を受章されました。 『能やお茶の文化を持っている日本人がなぜ、こんな近代社会をこしらえたか。 そこに近代社会ができたのと日本文化はどこか深い所で繋がっているに違いない。』 梅原さんは、日本の文化の底流にあるのは稲作文化ではなく、縄文時代の狩猟採集文化だと考えます。 『縄文土器と言うのは世界最古の土器です。縄文時代と言うのは今から1万2千年前から始まるのです。 日本では農耕が入って来るのが比較的遅くて、僅か2千年の伝統しかない。私は、今まで日本を農耕文化として観てきた。 これは間違いではないかと思う。だから私は日本文化を楕円状に考えて、一つは縄文文化もう一つは弥生文化。 この楕円状に考える森の文化と他の文化。そして他の文化は森の文化を多分に残していると思う。』 公害問題や環境破壊など数々の課題を抱える現代文明。 梅原さんは人間中心主義の西洋哲学ではこの問題に答えがだせないと考えます。 『人間中心主義だからデカルトの「我思うゆえに我あり」で「我」が大切なのだ。 「我」が世界の中心なのですよ。 数学的法則によって自然の法則を明らかにすることによって「人間は自然を支配できると思っている。 自然支配の論理だと思うのですね。」』平成23年東北地方を襲った東日本大震災。梅原さんは政府の復興構想会議に特別顧問として参加。 哲学者として持論を展開しました。『この災害は天災です。同時に人災と言う面もあります。けれどそうじゃなくて私は文明災だと思います。 文明が災害を起こした。』 梅原猛さんは、人はいかに生きるべきか問い続けた93年の生涯でした。 『自然と調和していく。自然と仲良くしていく。動植物と仲良くする。そういう文明に代わらないと人類の文明の持続的発展はあり得ないのではないか。』 と問いかけて見出された答えが、「草木国土悉皆成仏」です。
 天台宗にはもう一つの有名な「照一隅」と言う教えがあります。 「あなたの置かれている場所や立場で、ベストを尽くして一隅を照らして下さい。」と言う教えです。 残り短くなったローソクで、この先どこで何を照らそうか思案しているところです。

 菜の花忌(平成29年3月20日)

 義を重んじ、友を大切にし、社会の制約が強いから恋は燃え上がる。 司馬遼太郎さんの作品のヒーローには、今の男性にはない強さがあります。 資料の調査量が圧倒的で、作中に読者が知らない史実が満ちあふれています。 また、司馬史観といわれるように、歴史や人物への評価や分析が明快で、読みながら納得できます。 そして何より平易で読みやすい文章です。 たいていの人は司馬作品を手にするのは学生の頃ですが、私が本格的に読み始めたのはリタイアーしてからでした。 同じように考えていても自分ではうまく言葉にできないことが、簡潔に表現されている文章に幾つも出会いました。 たとえば仏教に関する記述で、これほど明快で腑に落ちる表現は初めてです。
 「人間も犬も今吹いている風も自然の一表現と言う点では寸分変わらないということを人々が知ったのは大乗仏教によってであった。 神も尊いが仏も尊い。孔子、孟子も劣らず尊い。花は紅、柳は緑であり、すべての姿はまちまちだが、その存在なりに価値があるというものであった。 一神教を信じている西洋人ならばこれを不思議とするであろう。彼らにすれば神は絶対に一つであり、自然、心理も一つでなければならない。 が、日本人は山海の頃から、山にも谷にも川にも無数の神を持っていた。 どの神もそれぞれ真実であったが、そこへ仏教が渡来して尊崇すべき対象がいよいよ増えてきた。 更に儒教がそれに加わり、両手にあまるほど無数の真実を抱え込み、別にそれを不思議としなかった。 しかも、その無数の矛盾を統一する不思議な思想が鎌倉時代にあらわれた。禅であった。 禅はそれらの諸真実を色(現象)として観、それらの矛盾は『それはそれで存在していい』とし、 すべてそれらは最終の大真理である『空』に参加するための門であるにすぎない。だから意に介する必要はないとした。
人間は、ただ一個で存在する場合は単に畜類とかわらない。『縁』として存在している。 『縁』という人間関係のなかに存在してはじめて一個の自然人が人間として成立するのは仏教が見つけ出したこの世の機微であるらしい。」
 全作品68巻を3年がかりで読み終えたのを機に、先月大阪で開催された第21回「菜の花忌」に行ってきました。 遠回りをして大阪城梅林を通ってNHKホールに向かいましたが、花はまだ咲き始めでした。 時間に余裕をもって会場に着いたつもりでしたが、席はほとんど埋まっていて、袖の方にようやく空席を見つけました。 シンポジウムのテーマは「関ケ原」で、豊臣家を守ろうとした石田光成の「義」と徳川家康の「利」について討論が展開され、 話題は世界情勢にまで及びました。 今年の夏に公開される映画「関ケ原」の原田監督は、「利」で人々を口説くトランプ大統領に対し、光成の「義」を貴ぶべきとの考えでした。 小説『菜の花の沖』で司馬さんは、国家の存立とはどうあるべきかを高田屋嘉兵衛に次のように語らせています。
 「上等の国とは、他国の悪口をいわず、また自国の自慢をせず、世界の国々とはおだやかに仲間を組んで自国の分の中におさまっている国をいう。 現代の言葉に直せば、愛国心を売りものにしたり、宣伝や扇動材料につかったりする国はろくな国ではない。 愛国心は国民である者のたれもがもっている自然の感情である。その感情は揮発油のように可燃性の高いもので、平素は眠っている。 それに対してことさらに火をつけようと扇動するひとびとは国を危うくする。」
 お隣の国のことだと思っていましたが、「利」を求め始めたアメリカにも当てはまるようになってきたようです。 すべて終了して退場する時、出口で入場者全員に菜の花が一輪ずつ配られました。しゃれた演出でした。

 暇と退屈の倫理学(平成27年7月23日)

 カプコンの会長は中学生の時に父を亡くし、働きながら定時制高校を出ました。 サラリーマンになるより、自分で会社を作った方が良いと、伯父がやっていた駄菓子屋を手伝った後、菓子店を開業。 店先に子供が20人、30人集まります。目当ては綿菓子の機械。10円入れると3分、自分で作れ、上手な子なら大きいのができます。 綿菓子のためではなく大きいのを作りたいと競う姿を見て、綿菓子の製造機のセールスに乗り出します。 ゲーム機の事業は20代の頃、駄菓子屋に並ぶ子供たちに目を留めたことから始まりました。
子供に限ったことではないようです。 自由に食べることができるエサ箱とレバーを押さなくてはエサが出てこない仕掛け箱を部屋に用意すると、サルもイヌもトリも皆、レバー押しを選びます。 労働したくて仕方がないのです。この心理はコントラフリーローディングと呼ばれるそうです。
「はて。労働とは何だろう。この手の話題ならば『暇と退屈の倫理学 増補版』(國分功一郎)が詳しい。」と新聞の書評欄に紹介されていました。 以前、一木会のIさんがこの本を読まれた感想を「この数年間に出会った本の中で最も面白い本と言っていいだろう。 暇と退屈のなかで見つけた珠玉の一冊である。」とブログに書かれていたことも思い出し、購入することにしました。
 人生を論じるとき、つい労働や賃金などの有形物に目を向けがちですが、本書は暇や退屈と言った「間隙」に着目し、新しい人間像を裏側から炙り出します。 「ひまじん」という言葉がいい意味では使われないように、暇と言うのは評判が良くありません。 しかし、暇があるとは余裕があるということで、余裕があるとは裕福であるということです。 暇と退屈という二つの言葉はしばしば混同して使われますが、当然ながら同じものではありません。 暇とは何もすることのない、する必要のない時間を指しています。暇は、暇の中にいる人のあり方とか感じ方とかは無関係に存在します。 それに対して、退屈とは何かをしたいのにできないという感情や気分を指しています。 暇と退屈を組み合わせると4つのパターンに分類されますが、本書ではハイデッガーの退屈論を基に、 <暇があって退屈している>を退屈の第1形式、<暇ではなくて退屈している>を退屈の第2形式として分析しています。 退屈の第2形式は、私たちが普段もっともよく経験する退屈です。私たちの生活は全てが気晴らしであるわけはありませんが、気晴らしに満ちています。 必要だと思っていることも気晴らしかもしれません。誰もその気晴らしを退屈だと感じるわけではありません。 しかし、時折その気晴らしは退屈と絡みあいます。 そして、気晴らしと退屈とが絡み合ったこの第2形式を生きることが人間の生きていく本質ではないだろうかと問いかけています。
 リタイアー後、有り余る時間はありますが、第1形式のようには退屈していない生活を続けています。 駄菓子屋の前に並ぶことはもうありませんが、毎週のように大学時代の友人とゴルフ場に通っています。 綿菓子を作るため手にした割り箸をゴルフクラブに持ち替え、綿菓子の大きさでなくスコアーを競い合っています。 ちなみに先のコントラフリーローディングは、唯一、ネコに観察されないことが知られています。暇そうに見えるが猫は退屈していないのかも知れません。

 般若心経(平成27年7月1日)

 我家の菩提寺は、大津市長等1丁目にある曹洞宗の青龍寺です。 父親が滋賀県朽木村にある本家の墓の土を貰ってきて納め、40年ほど前にこの寺に墓を建てました。 朽木は海産物を京都へ運ぶ鯖街道の通るところとして知られています。 戦国史上有名な金ヶ崎崩れと呼ばれる撤退戦では、朝倉氏に敗れた信長は、近江豪族の朽木元綱の協力で、越前敦賀から朽木を越えて京都まで逃げ帰りました。 我家の姓はこの村には一軒しかないところを見ると、元からの地の人ではなかったようです。
 この寺の住職桂川道雄さんは高校の同級生です。 同じクラスになったことがなかったため、高校時代に面識はありませんでしたが、寺と檀家の関係もあり、互いの母親同士の話題にはなっていたようです。 母親からの話で入院されたことは知っていましたが、先日帰省した時に闘病経験を基にした解説本「がん患者のための般若心経」を贈って頂きました。 この本を紹介する記事が、新聞の地方版に掲載されていました。
 『青龍寺の住職桂川道雄さんは、3年前に大病を患って緊急入院し、今も通院を続けている。 再発の不安に悩んだ時期もあり、「発想の転換やプラス思考の大切さを唱える般若心経が、闘病生活で苦しむ人の心の支えになれば」と筆を執った。
曹洞宗大本山の総持寺布教部長も担っていた2012年4月、血液検査で急性骨髄性白血病と診断された。 自覚症状はなかったが、医師は「骨髄の80%ががん化している」と宣言。骨髄移植を受け、9ケ月の入院生活を過ごした。 退院後も体調と向き合う日々が続いた。 13年秋には風邪をこじらせて再入院し、「煩悩から、なぜ自分が病気になったのかと、心が穏やかでなくなった」と打ち明ける。 同時に、同じようにがん治療で悩み苦しむ人に、仏の教えを伝えたいという思いが募ったという。 解説本は第1章で釈迦の生涯など仏教の基礎知識を説明し、第2章以降で般若心経を一説ずつ解説している。 「無有恐怖」の一説については、「災難を逃れよう逃れようとする心が、ますます恐怖を増幅する」などと解説文を添えている。 桂川住職は「仏教は奇跡を説かず、ものの見方で心のありようも変わることを伝えている。 誰もが嫌うがんを前向きに受け止め、日々、穏やかに過ごすことが大切ではないか」と語っている。』
 この寺には急逝された大学の恩師N先生のお墓もあります。 N先生は私が所属した橋梁研究室の教授で、卒業してからも人生のターニングポイントで大変お世話になりました。 入社して何年か橋梁工場に勤務していた時、若い内に設計を経験した方が良いと、会社の上層部に働きかけて頂き、設計部門へ移ることができました。 設計から営業に転勤になって談合の世界に馴染めず、転職の相談をした時は軽はずみな行動を叱られましたが、最終的には応援して頂きました。 国際的にも顔の広い先生で、ヨーロッパ、オーストラリア、韓国などの国際会議にご一緒しました。 筍堀、盆踊り、釣りやプライベートな飲み会にも誘って頂き、随分楽しい時間を過ごしました。
 何年か前、一木会のメンバーを大津祭見物に招いた時、皆で先生のお墓にお参りしたことがあります。 桂川住職が書かれた「元気の出る般若心経」ではありませんが、生前の計り知れない御恩に「感謝の気持ちを込めた般若心経」を唱えさせて頂きました。 同じ寺に墓がありますので、いずれあの世で近くに住むようになります。 お互い酒好きですので、昔遊郭のあった大津の柴屋町に毎晩繰り出そうと思っています。

 里山資本主義【最終】(平成26年12月1日)

 日本は国と地方を合わせて1000兆円もの借金を抱えている。今後返済の目途がたたないばかりか高齢化はますます進む。 高齢化による社会コストを全部まかなうだけの膨大な資金を用意するか、老後の生活レベルを下げて支出を削り、 集められない資金の総額を減らすかという二者択一しか選ぶ道はないのか。その常識を疑い、別の道もあるのではないかと考えるのが里山資本主義だ。
 高齢化が加速度的に進む中、地方が社会として機能していくうえで、社会福祉法人と言ったものの存在は欠かせないが、施設の運営は苦しい。 広島県庄原市の社会福祉法人が運営する、高齢者や障害者のための施設の調理場に積まれている野菜は、県外産ばかりだった。 お年寄りの作る野菜を施設で生かせばいいのではないか。食材費を劇的に抑えられる。その分お金が地域の外に流出していることを意味する。 それを払わずに地域の中で使うとお金が地域にとどまり、さらに対価を地域の中でしか使えない仕組みにすると豊かさが地域を巡回する。 野菜を提供してくれたお年寄りには対価として地域通貨を配る。それをデイサービスやレストランで使えるようにした。 このレストランは施設の隣に保育所が併設されている。保育所に子供を送り届けた母親の一人はレストランの調理場で働いている。 希望すれば隣の保育園で子供たちと遊ぶことができる。お年寄りを「孫世代とふれあえない弱者」であることまで克服させる。
 これまで我々が発達させてきた社会は様々な立場の個人を分断して、問題ごとに解決策を講じ、お金をかけて解消していくという道筋をたどってきた。 老人も、子供も働きたいのに子供が預けられない主婦も、みんな弱者として扱われる。 単体では弱者に見える人も実は他人の役に立つし、そのお役立ちは互いにクロスする。 まるごとケアの考え方や、お年寄りの野菜の活用による富の循環システムなどをフィンランドから視察に来た教授が聞く。 フィンランドにはこのような循環システムはない。これは素晴らしいアイデアであり、社会革命です。 衰退する地域や農村が生き残るチャンスを示している。福祉の世界の先進国の専門家がべたほめする。
 石油や原子力といったエネルギーに大きく依存した社会システム以外に、私たちの社会はどのような選択肢を持ちうるのか。 「里山資本主義」とは、おカネの循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、 こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方だ。 「サブシステム」という語のうちに、「私たちはどうしようもないシステムを作り上げてしまったけれど、 それもまた私たちのかけがえのない一部分として受け容れていこうじゃないか」という、読者に対する著者の懇請の意がこめられているように感じられる。 (動画: NHK ECOCHANNEL

 里山資本主義【その2】(平成26年11月26日)

 石油に代わる燃料がある。かんな屑を円筒状に固めたペレット。重油式のボイラーをペレットボイラーへ換えこれを燃焼させる。 灯油とほぼ同じコストで、ほぼ同じ熱量を得られる。石油を中心に据えてきた20世紀のエネルギーにとって代わる可能性を秘めた21世紀の燃料だ。
 オーストリアは、北海道と同じ大きさで人口1千万の国。失業率はEU加盟中最低の4.2%、一人当たりの名目GDPは世界11位(日本は17位)、 経済が安定している秘密は木を徹底的に活用して経済の自立を目指す里山資本主義にある。 地下資源に乏しいオーストリアは原油を中東諸国に、天然ガスをロシアからのパイプラインによる供給に依存してきた。 国際情勢が不安定化するたびに、エネルギー危機に見舞われ、元栓を外国に握られている恐怖を身にしみて知っている。 化石燃料以後の時代を考えて準備しなければならない。そこでペレットを快適に利用するオートメーションシステムが定着。 ペレットの供給とペレットボイラーの技術革新。身近な資源の方が信頼できる。石油やガスをペレットに置き換えることで安全と安心を守る。
 岡山県真庭市も山の木を利用することでエネルギーの自立を目指す。 市内の建材メーカーが、工場で出る木くずで「木質バイオマス発電」を始めたところ、年間1億の電気代がゼロになった。 しかも余った電気を売電して、毎月400万円も定期収入が入る。原発1基が1時間でする仕事を、この工場では1ヶ月かかってやっている。 大事なのは発電量の大小ではなくゴミとして捨てられているものを燃料として発電できること。 さらには、木くずから燃料ペレットも作って、それが地域の小学校や農家のハウス栽培に使われている。
 エネルギー白書によれば2010年度家庭部門の資源エネルギー利用の内訳は、動力や照明など主に電気でまかなえるものは34.8%、 暖房、給湯、厨房、冷房など熱利用がほとんどを占めている。 日本全体における自然エネルギーの割合は1%に過ぎないが真庭市では11%を木のエネルギーでまかなっている。

 建築材料としての木材の新たな利用方法も推進されている。 CLT(Cross Laminated Timber)は、ひき板を並べた層を、板の方向が層ごとに直交するように重ねて接着した大判のパネルを示す。 CLTの建築材料としてのメリットは、高い断熱・遮音・耐火性を持つこと、プレファブ化や、接合具のシンプルさなどによる施工性の速さや、軽量性にある。 ヨーロッパでは、戸建て住宅はもちろん、中高層の集合住宅でのCLTの利用が急速に伸びている。日本でも建築基準法が改正されれば利用が拡大する。
 20世紀のグローバリゼーションの進展は、自動車や鉄鋼という中央集約型の産業を主軸に据えた日本に大きな経済成長をもたらした。 しかしその陰で、日本人は最も身近な資源である山の木を使うことを忘れ、山とともに生きてきた地域を瀕死の状態にまで追い込んできた。 真庭市が進める山の木の利用は、20世紀の後半、グローバル化の負の遺産を背負い続けてきた地方が、再び経済的な自立を勝ち取ろうとする挑戦である。

 里山資本主義【その1】(平成26年11月23日)

 エネルギーの過剰供給と過剰消費を前提とした大量生産、大量消費によって成り立つ社会ではなくて、 持続可能なエネルギー供給のシステム作りを通じて新たな社会のあり方の可能性を模索し、行き過ぎたマネー資本主義に疑問を投げかける。 『里山資本主義-日本経済は安心の原理で動く-』の説くところを要約するとおよそこのようになるのだろうと思います。 著者の藻谷浩介さんは、日本政策投資銀行参事役を経て現在、日本総合研究所主席研究員。 長年、地域経済再生のための提言を続けて、日本の全市町村をくまなく回り、講演活動を行っています。 NHK広島局制作の「里山資本主義シリーズ」にナビゲーターとして出演し、身近な資源を活用する地域発の新たなライフスタイルを提言しています。
11月の「一木会」のプレゼンで取り上げたこの本を数回に分けてご紹介します。
 里山には、代々の先祖が営々と育んできた、自然と共に生きるシステムがある。 そのルールを守っていると、いまの時代でも、水と食料と燃料、それに幾ばくかの現金収入を手に入れることができる。 新鮮な野菜に魚、おいしい水、火を囲む楽しい集まり、そして地域の強いきずな。 都会であくせくサラリーマンをやっている人間よりも、里山暮らしの人間の方が、お金はないけど、はるかに豊かな生活を送っているということを、 各地で実感できる。つまり里山にはいまでも、人間が生きていくのに必要な、大切な資本があるのだ。
【エコストーブ】
 広島県庄原市。日本人が昔から大切にしてきた里山暮らしを現代的にアレンジし、真の豊かな暮らしとして広めようとする人物がいる。 ペール缶で作ったエコストーブは煮炊きなどの調理に使えば抜群の力を発揮する。木の枝が4,5本もあれば、一日分のごはんが20分で炊ける。 ライフスタイルを戦前に戻したり、電気のある便利な暮らしを否定することではない。 そうしたものも当然使いながら、いかに財布を使わずに楽しい暮らしをするか身の回りを見直していく。原価0円の暮らしを追及する。
【島のジャム屋さん】
 今の時代に求められるのは、その土地でできた農作物を使い、田舎では田舎でしかできない事業を行うことではないか。 それが地域を復興させ、お年寄りを元気づけ、若者を呼び戻す切り札になるはずだ。ここのジャムは大手メーカーの大量生産品と比べると格段に高い。 しかし、少量多品種、画一化されていない個性豊かな味、周防大島という素晴らしい環境で顔の見える人たちによって作られていることが人気の秘訣。
【純国産のオイルサーディン】
 実家の水産加工会社を継いだ青年は、いりこに適さないと廃棄してきた大きすぎるいわしをオイルサーディンにするアイデアで、販売を開始。 純国産のオイルサーディンは人気が広がり、生産が追い付かない状態である。
【ビンテージの牛乳】
 島根県の耕作放棄地を借りて牛を放し飼い。穀物を一切食べていないがクマザサからヨモギまで、数百種類の草を食べている。 だから味が濃い。価格は市販の5倍もするが売れる。こんな健康的な環境で育ち、自然そのものの餌を食べた牛の乳は飲みたくなる。 日によって違う味を楽しむ。ビンテージものと名づけてその価値観を牛乳に持ち込んだ。
 時代の流れは逆転し、大企業を見限って過疎の地域へ飛び込む若者たちが増えている。 NPO法人が起業を考える若者を対象に行った意識調査では、いま若者たちの5人に一人が農業や漁業と言った「一時産業」に挑戦したいと考えている。 かつての起業の花形だった「IT産業」の二倍以上である。 ここ数年、どの企業でも欲しいような人材が平気で会社を辞めて地域に入ることが起こり始めている。

 ルネサンス(平成26年6月20日)

 塩野七生さんの本を初めて手にしたのは『ローマ人の物語(10)すべての道はローマに通ず』でした。 橋梁のシステム開発の仕事をしていた時に「土木関係者は是非この本を読むべきだ。」と上司に勧められたのがきっかけです。 古代ローマの歴史には多くの魅力的な人物が登場しますが、忘れてはならない陰の主役が、インフラストラクチャーです。 「人間が人間らしい生活を送るためには必要な大事業」であるとその重要性を知っていたローマ人は、街道を始め様々な基礎的システムを整備してきました。 「土木」という言葉が、悪いイメージを持ってマスコミに語られていた当時、「土木」の本来の姿が示された一冊でした。
 その塩野さんが出演される番組「塩野七生×向井理 魅惑のイタリア大紀行 ルネサンスとは何であったのか」が、 6月初めに2週に渡って放送されたのを見ました。 ルネサンスが始まったフィレンツェから、ローマ、ベネツィアをめぐる旅ですが、よくありがちなグルメや観光にスポットを当てたのではなく、 歴史や文化に踏み込んだ奥の深い番組になっていました。 番組の中でルネサンスが始まった直接的な要因としてパトロンの存在を挙げておられます。 フィレンツェのメディチ家、ローマ法王、バティカン国家の経済的なバックアップがルネサンスを支えました。 また、間接的な要因としてルネサンス以前の中世の宗教的、政治的なキーマンの名前を挙げられています。 一人は、西洋人としては珍しいほど自然と一体化した聖人、アッシジのフランチェスコ。 もう一人は、封建社会から法に基づく君主制国家への移行を成功させた皇帝フリードリッヒ2世。 ちょうど『皇帝 フリードリッヒ2世の生涯』を読み終えたばかりでしたので、その存在が身近に感じられました。
 塩野さんは時を超えて多くの魅力的な人物と接してこられたため、歴史問題にもシャープな一面を覗かされます。 『ローマ人の物語』は、それまで類書がなかった歴史認識にうるさい韓国でも出版され、大ヒットしたそうです。 韓国滞在中のインタビューが文藝春秋に掲載されていました。
 記者:「36年間の植民地時代をどう評価するか?」
 塩野:「男と別れた後の女には、二つの生き方があるのです。第一は、別れた男を憎悪し怨念に燃えその男に害あれと願いながら一生をおくる生き方。 第二は、過去などはきれいさっぱりと忘れて新しい男を見つけ、と言って昔の彼とも仕事を一緒にしたりして、愉しい人生をおくる生き方。 あなた方は、どちらを選択なさりたいのですか?」
記者は黙ったそうです。この第一の生き方をおくる女が、誰かとダブってしかたがないのですが。

 老い方レッスン(平成25年6月3日)

 定年後の生き方に関するかなりの数の本を読みましたが、渡辺淳一さんの「孤舟」は現実離れした生活環境に違和感があり、 物語としては面白くても参考になるものではありませんでした。
 最近読んだ「老い方レッスン」では薦められているいくつかのレッスンの内、共感できるものが2つありました。 一つは自伝を書くこと。もう一つはガールフレンドを作ること。 このHPを自伝代わりにしていますが、もう一つの課題をどうすべきか考えているところです。