土木鋼構造診断士(令和5年10月24日)
左の写真に示すトラス橋の下横構ガセットプレートに変形が生じた原因として、最も適当なものはどれか。
1)地震 2)疲労 3)腐食 4)火災 答えは1)地震です。
こんな簡単な問題ばかりではないのですが、午前中の試験では主に鋼橋に関する4択問題が50問出題されます。
先日、土木鋼構造診断士の試験を受けてきました。
土木鋼構造診断士とは、土木鋼構造物に関する幅広い知見と経験を有し、様々な劣化・損傷に対し、
適切な点検、診断、対策の立案、指導等ができる専門技術者です。
そんなに難しい試験ではないだろうと高をくくっていましたが、
午後の3時間半の試験で専門問題と経験論文を500字詰めの原稿用紙8枚も書かなければなりません。
技術士試験並みのハードさであることがわかりましたので、それなりの準備をしてきました。
専門問題では次の問題を選択しました。
【A】既設鋼構造物の腐食事例を1つ挙げ、腐食部位と腐食状態を簡潔に述べるとともに、
あなたが性能を評価するうえで重要と考える測定項目を2つ挙げ、測定項目ごとに重要と考えた理由と有効な計測技術を述べよ。
【B】重防食塗装と当て板補強についてそれぞれの内容を説明しなさい。
また、補修設計について書いた経験論文の一部は次のような内容です。
『本業務は、県道に架かるコンクリート橋と鋼床版桁の側道橋について長寿命化を目的とした調査を行い、
関連基準に基づいて補修設計を行うものである。
私は本業務の管理技術者として契約図書に基づき、技術上の管理を行った。
補修設計に先立ち、「自治体版点検要領」に基づく点検を実施し、劣化・損傷状況を把握した。
また、必要な調査を実施し、補修設計のための資料とした。
これらを基に劣化損傷部位の補修工法の比較検討を行い、工事に必要となる図面を作成し数量計算を行い、概算工事費を算出した。また、施工計画として施工計画図や概略工程表を作成した。
調査は徒歩で梯子を使って行い、鋼床版鈑桁、下部工の寸法調査、RCレーダーによる配筋調査、
コンクリート調査、塗膜調査、舗装厚調査を実施した。その調査結果を基に以下の補修工法を採用した。
①塗膜除去工法
橋梁の規模や経済性を考慮して「湿式+ブリトルブラスター工法」を採用した。
この工法は、重装備な防護工も不要で、作業者、周辺環境にやさしい工法である。
また、厚労省通達の鉛粉塵対策に則して素地調整1種を確保出来る。
②鋼部材の補修
桁間側の支点上リブは、桁遊間からの土砂、雨水の流れ落ちによる腐食、減肉、欠損が生じていた。
同じ厚さのプレートを直に折り曲げ、下フランジとリブをつなげるようにHTBで取付けた。
主桁下フランジの断面欠損、減肉個所はフラットバーを両面に当て、HTBで取付けた。
またウェブの減肉個所はアングルを当て板にしてHTBで接合した。』
専門問題の【A】の回答に不安はあるのですが、それ以外は合格点が取れていると思います。
記憶力が衰え始めたこの齢で試験を受けるのはきついのですが、ボケ防止にはなったように思います。
擁壁点検(令和3年2月20日)
擁壁とは、高低差のある土地の斜面が崩れないように、斜面を安定させるための構造物です。
鉄筋コンクリートやコンクリートブロックなどで斜面を壁状に覆い、土砂崩れを防ぎます。
擁壁は、降雨、地震などの自然災害や交通車輌の影響を受けるため、維持修繕の適切な時期を把握して対策を講じる必要があります。
昨年、当社が受注したS市の道路施設点検調査業務には歩道橋、標識施設、アンダーパスなどと共に、擁壁の点検業務が含まれています。
S市の擁壁は山を切り開いたような大規模な土工構造物ではなく、主に高低差のある道路と歩道や敷地を仕切る擁壁です。
ひび割れや剥離の損傷状況を調査し、点検結果をもとに維持管理のための調書を作成します。
人手をかけて多くの現場で点検を行わなければならないため、週1勤務の私の方にまで声がかかり、毎日現場へ通わなければなりませんでした。
まずは図面を作成するため、巡視と言って100箇所ほど擁壁を現地調査して寸法を計測します。
下請会社の社長と2人で作業することになり、初日は新大阪駅で待ち合わせることにしました。
約束の時間に作業服姿で駅前に着きましたが、それらしい作業車は止まっていません。
しばらく待ってから連絡すると、少し離れたところで合図する方がおられ、傍にBMWが止まっていました。
社長の自家用車でこれから2週間、作業服姿でこの高級外車に乗り現場を見て回ることになりました。
初対面ですので、会話はHow are you.ではなくWho are you.から始めなければなりません。
1日5時間以上もご一緒するので、気の合わない方であれば苦痛になります。
年齢は50歳代で私のほうがひと回り以上上です。
最初は趣味のゴルフの話から入り、徐々にプライベートな話をするようになりました。
今は人材派遣業を経営されていますが、当社への人材派遣を拡大して、業務の請負に繋げていきたい思惑があるようです。
高校を卒業して大手の電機メーカーで働いてから、退職して飲食業を経営されたそうです。
バブルの頃で収入も多くてかなり遊ばれたようですが、肝臓を悪くしてから酒は飲まれません。
私が歩んできたサラリーマン人生とは全く違う境遇ですが、面白い生き方をされてきたようです。
擁壁の計測では、短い距離はメジャーで測り、長い距離はゴルフの時にピンまでの距離を測る距離計を使います。
計測した数値の読み上げや距離計のターゲットとして立つなどの単純な作業ではありましたが、地名は知っていても行ったことがなかった現場での作業を楽しんでいました。
もう一つの楽しみは昼食です。麺好きの方であったため、ほぼ毎日がラーメンです。
おしゃれな感じですが、味はもう一つの店、年老いた夫婦で経営されていてとても美味しい小さな店など様々です。
一人では絶対に入らないと思われる新今宮の労働者が集まるラーメン屋さんにも行きました。
巡視が一段落したころでこの仕事から解放され、その後図面の作成や損傷の詳細な調査を継続されていたようですが、私が手伝うことはありませんでした。
今月になって再び依頼があったのは点検記録の照査です。
擁壁の図面にコンクリートのひび割れや剥離箇所が記入され、その損傷の度合いや原因が記載された調書を照査する作業です。
コンクリートのひび割れの幅や長さが一つずつ克明に記録されており、まるで擁壁のカルテです。
写真を見ていると巡視を行っていたころのことが思い出されます。
あの時以来外でラーメンを食べていませんが、また行ってみたい店が何軒かあります。
J橋の撤去(令和2年10月21日)
滋賀県下で2番目に大きい安曇川は、氾濫を防ぐために河川敷に真竹が植えられました。
その真竹を使ったのが始まりとされる「扇骨」作りはこの地で300年以上受け継がれていて、全国シェアは9割に上ります。
昭和32年に施工されたJ橋は、この安曇川の下流に架かるゲルバーT桁コンクリート橋です。
下流に新しい橋ができたため旧橋を撤去することになり、その撤去方法を検討することになりました。
60年以上前に架けられた橋であるため、資料が少なく図面も残されていません。
そのため、現地計測をして図面を復元しなければなりません。
最初に現場を訪れたのは8月終わりの暑い頃で、河原では家族連れが水遊びをしていました。
2人で梯子や計測に必要な道具を持って背丈ほどもある河川敷の草をかき分け、橋台と橋脚の計測から始めました。
地上に出ている部分は計測できますが、埋まっている部分は古い資料を基に推測するしかありません。
午前中の作業を終え、昼食をとるため琵琶湖の中に大鳥居を構える白髭神社の傍にある蕎麦屋に向かいました。
丁度食事時で客が多い上にコロナの影響で入店する人数を制限しているためかなりの時間待たされました。
注文したのはおすすめの「白髭ぶっかけそば特上鯖すし二個セット」ですが、期待していた十割そばとは違うものが運ばれてきました。
指示された通りに出汁とラー油をかけて頂きましたが、そばではなくまるで担々麺。これで1,850円は高く感じられました。
別の日の2回目の作業でも同じように梯子の届く範囲を計測していきますが、私はもっぱら計測補助と記録係りで、読み上げられた数字を図面上に書き込んでいきます。
橋の上でのレベルを使った高さの計測では、道路の真ん中で標尺を持って立つのですが、頻繁に車が通るため、その都度道路わきに逃げなければなりません。
往生したのは竹藪の中に入っていての計測です。ぶんぶんと藪蚊が飛んで来て、かゆくて計測どころではありませんでした。
前回の中華風そばで懲りたため、その日の昼食は今津港観光船乗り場のすぐ前にあるひょうたん亭のそばです。
琵琶湖の風景を写したような盛り付けの「周航そばと鯖寿司」のセットがおすすめのようです。
壁には著名人が訪れた時の写真が飾ってあり、「にっぽん縦断こころ旅」の火野正平さんの写真もありました。
そば粉を二八の割合で打った手打ちそばはおいしく、値段も安くて白髭そばとは雲泥の差でした。
3回目は梯子を使っても近寄れない高い箇所を専門の業者に頼んで高所作業車を使っての計測です。
初めて高所作業車に乗せてもらって驚いたのは、見たこともない支承の構造です。
可動支承は橋脚に埋め込まれたコンクリート円筒の上に曲線状の鉄の板が載るロッカー支承です。
固定支承は柔らかい板状でハンマーでたたくと銀色に光る鉛の様な断面が現れました。
午後、役所に書類を届けて現場に戻ってくると、高所作業車のタイヤが柔らかい河原の砂に潜り込んで抜け出せなくなっていました。
石や流木をタイヤの下に詰め込んだりして脱出を図りますが、何度トライしてもタイヤの後ろの地面が崩れてうまくいきません。
近くのホームセンターでコンパネを買って来て、それをタイヤの下に敷いてようやく脱出することができました。
安曇川の上流には山間の渓谷をぬう一筋の街道「鯖街道」が通っています。
戦国時代から江戸時代にかけて、延々十八里のこの街道を通って若狭から京の都まで鯖が運ばれました。
朽木村は、この街道が通るかつての朽木宿が栄えた宿場町です。
この村は私の先祖の出身地ですが、この地で同じ姓の家はありません。
先祖はよそから来てこの地に落ち着いた一族のようです。
縁のある地で私とほぼ同年代の橋の解体に携わるのは、何かのご縁かも知れません。
伸縮装置(令和元年10月4日)
支点付近の漏水やさびに対する対策を検討するため、淀競馬場近くにある橋の点検に行ったのは7月の半ば頃です。
下フランジのマンホールから箱桁の中を覗くと、錆びてボロボロになった排水管が桁の中を貫通しています。
排水管から漏れた水により箱桁内がかなり腐食していて、鋼板の板厚が薄くなっています。
鋼管がここまで錆びるのかと思われるほど錆びていて、もはや排水管の役割を果たしていません。
箱桁内部に黒く塗られた永久塗装は健在ですが、塗り忘れられた箇所はエッチングプライマーの緑色のままです。
排水管は普通亜鉛メッキまたは塗装しますが、そういった防錆処理がされていない施工不良のようです。
箱桁内部の腐食は、この排水管からの漏水が原因です。
箱桁外部の支点と橋脚の間の部分もかなり錆びていて、主桁、端横桁の下フランジが一部断面欠損しています。
また、アスファルト舗装で覆われた合成床板下面の鋼板にも、錆びが見られます。
これらの錆びは、箱桁内部の排水管の漏水とは別の原因のようです。
床版からの漏水が考えられるので、アスファルトの舗装の一部をはがして水を溜め、漏水試験を行いました。
しかし、床版上に溜まった水の水位は変わらず、クラックが生じてそこから漏水しているのでは無さそうです。
他の原因を調べるため、今度は伸縮装置のフィンガーにたまった土を取り除き漏水試験をしてみました。
伸縮装置とは橋梁の路面端部に設置されるもので、気温の変化による橋梁の伸縮、地震時および車両の通行にともなう橋梁の変形を吸収し、
自動車や人が支障なく通行できるようにするものです。
漏水試験では、フィンガーの間に溜まった水は短時間のうちに無くなってしまいました。
どこかで漏水しているようです。
手を突っ込んで調べてみると弾性シール材に隙間があり、そこから漏れているようです。
もっと大量に水を注いでみると、流れた水が伸縮装置の下から橋脚上に流れ出して来ました。
どうやら、箱桁の外側と床版の底鋼板を腐食させていたのは、伸縮装置からの漏水のようです。
全ての腐食の原因が突き止められたので、次はその対策です。
箱桁内の腐食した排水管はビニールパイプに取り換えました。
腐食による断面欠損の補修方法としては鋼板をボルトで貼り張り付ける工法が一般的ですが、重くて狭い場所での施工がやりにくいので、
FRP(繊維強化プラスチック)による補修を行うことにしました。傷ついた橋に絆創膏を貼るような補修方法です。
伸縮装置に関しては、弾性シール材が経年劣化し、二次止水も漏水による支持金具の腐食や排水パイプの目詰まりにより、
その機能を果たせなくなったと考えられるので取換えることにしました。
老朽化した橋を調査したのは初めての経験でしたが、雨水が橋の損傷に大きな関わりを持っていることに改めて気づかされました。