濃厚接触者(令和4年6月7日)
「濃厚接触者」とは、陽性者の感染可能期間内(発症日の2日前から、診断後に隔離開始されるまでの間)に陽性者と接触した者のうち、次の範囲に該当する方を言います。
1.患者と同居あるいは長時間の接触(車内、航空機内等を含む)があった方
2.手で触れることの出来る距離で、マスクなどの必要な感染予防策なしで、「患者」と15分以上の接触があった方
3.適切な感染防護無しに患者を診察、看護若しくは介護していた方
4.患者の気道分泌液もしくは体液等の汚染物質に直接触れた可能性が高い方
先日「1」に該当する濃厚接触者になったかもしれないことがありました。
週一回の出勤日の前日に、同じフロア―から4人の陽性者が出たとのメールがありました。
嫌な予感がして出社するか迷っていたのですが、当日の朝、やはり用心して会社へは行かないことを連絡しました。
次の週に出社すると、その後新たに3人の陽性者が出たことがわかりました。
しかもその内の一人は私の隣の席の方で、前の週に一緒に車に乗って現場まで行く予定をしていた方です。
詳しく様子を聞くと、熱はなかったようですが、前の週から喉に痛みがあり、病院でPCR検査を受けて陽性と分かったそうです。
もし出社しておれば往復2時間以上同じ車の中にいて確実に濃厚接触者となり、もしかしたら感染していたかも知れません。
私と同じように週一回の出社でたまたま感染した方もおられたようで、ちょっとした判断の違いが明暗を分けたようです。
新型コロナウィルスのオミクロン株の影響で国内感染が治まらない中、自分も濃厚接触者になったかも知れないこともあって、気になるコロナ対策について調べてみました。
感染者に濃厚接触した可能性を知らせる政府の接触確認アプリ「COCOA(ココア)」は、2020年6月に運用が始まりましたが、不具合続きで評判は散々だそうです。
そもそもココアとは、スマホの近距離無線通信(ブルートゥース)の機能を使い、「濃厚接触者」の定義に基づいて利用者同士が1メートル以内に15分以上いた場合、接触履歴をお互いのスマホに記録するシステムです。
一方が感染者となった場合にアプリに「陽性登録」すると、もう一方に接触情報が通知される仕組みになっています。
ただし、双方がアプリをダウンロードしていないとココアは稼働しません。
また、利用者が陽性者となってもその情報をココア上で登録しなければ、接触可能性のある人に通知されません。
スマホにココアを入れていても、陽性反応が出た相手がココアを入れていなかったり、陽性反応を登録しなかったりすれば、接触したかどうかを知ることはできないのが現実です。
厚労省担当者の責任意識や役割分担が不明瞭だったという構図と共に、日本が抱えるIT化への構造的課題を浮き彫りにしているようです。
もう一つ世論調査で効果がなかったとされているものがアベノマスクです。
布マスクは、洗濯することで繰り返し利用でき、急増していたマスク需要の抑制の観点からも有効だったとされていますが、小さなマスクをつけ続ける前首相の違和感のある姿に、この政策の不自然さが現れていたように思っていました。
新型コロナウィルスが弱毒化していって結果オーライとなった対策もいくつかあると思います。
お隣の国のゼロコロナ政策のように間違っていても改めないよりも、効果のない政策の方がまだ許されるかも知れませんが、お粗末な税金の使い方に腹がたつのは、私が歳をとったからだけではないように思います。
生物はなぜ死ぬのか(令和4年1月21日)
日頃考えることは少ないけれど、誰もがドキッとする「死」について、生物学の視点で解説した新書が売れているそうです。
ひと月ほど前、本屋のベストセラーのコーナーでこの本を見つけ、週一回の通勤時間の電車の中で読んでいますが、先日、NHKの朝のニュースでこの本が取り上げられていました。
著者の東京大学定量生命科学研究所の小林武彦先生は、人の死だけではなく、生き物全般に共通して存在する「死」を「進化」と関連づけて説明されています。
『「進化」とは簡単に言うと「変化して選択される」ことです。変化というのは遺伝情報が変わること、性質が変わること。姿、形が変わることです。
生物が変化した中で、たまたま、あるいは偶然、あるいは何か都合がよくて生き残るものがいます。
生き物の最初はものすごく単純な物質でした。これが変化して自分で増えるようになり、その中で増えやすいものだけが生き残ってきました。
これが「選択される」ということです。この「変化と選択」を繰り返すことが、進化のプログラムです。
だから進化というのは、目的があってこうなろうと思ってなったのではなく、偶然、「変化と選択」を常に繰り返すことによって都合のいい形、性質を持ったものが生き残ったと言うことです。
生物学から見ると、これまでの無数の死があるから進化し、私たちが存在すること。「生物は進化が作った」ということです。
生と死、変化と選択の繰り返しの結果として、ヒトもこの地球に登場することができました。死があるおかげで進化し、存在しているのです。
死は現在生きているものから見ると、生きた「結果」であり、「終わり」ですが、長い生命の歴史から考えると、未来で生きている、存在していることの「原因」であり、新たな変化の「始まり」なのです。
そして最も重要なことは、その生死を繰り返すことのできる舞台となる地球環境を自らの手で壊すことがないように守っていくことです。
私たちは、何もないときには「なんとなくあと何十年ぐらいは大丈夫かな」と、死があまり現実味を帯びてないと思います。
ただ新型コロナで、連日の死者何名だと報道されると、死を最終的な人生のゴールとした場合、ゴールの方から近づいてきたようなイメージがあって、この本に関心を示す人が多いようです。』と著者は述べられています。
書評にこれまでの死生観を変える1冊とうたわれていますが、哲学や宗教ではなく生物学的に死の意味を解説されているため、個人の死生観を変えるほどのインパクトはないようです。
また、新型コロナに関連して死を意識するのは、死者の数ではないように思います。
ただ増えていく死者の数は、知らない人の死で感情を伴いませんが、死を意識するのは、知っている方の死です。
新型コロナがはやり始めたころに何人かの著名人の死がありました。
私にとって身近な方の死のように思われたのはタレントの岡江久美子さんの死でした。
相談の目安として示された「37.5度以上の発熱が4日以上」に従って自宅で症状が悪化して亡くなられました。
その後、この文言を削除するのに「われわれから見れば誤解」と述べ、まるで国民の理解不足が原因かのような厚労大臣の物言いは腹が立ちました。
今回のコロナ禍では死について考えるよりも、危機管理を担うこの国のリーダー達の資質について考えさせられるほうが多かったように思います。
猫(令和2年9月4日)
「あなたのお名前は?」
/「えーとね、○○です。」
「何歳ですか?」
/「2歳です。」
「好きな食べ物は何ですか?」
/「リンゴが好きです。」
「好きな動物は何ですか?」
/「にゃんにゃんが好きです。ゾウさんは苦手。」
先日、「家族アルバムみてね」にアップされていた母親と孫娘の会話です。
孫娘にとって大好きな猫は、私にとっては大の苦手です。ほとんど接点の無い動物でしたが一戸建てに住むようになってから望んではいない付き合いが始まりました。
我が家の庭が散歩のルートになっているようで、お隣の塀伝いに入ってきます。ただ通過するだけならとがめはしないのですが、庭に糞をしていきます。
好みの場所があるようで、毎回同じ軒下の少し土の乾いた花壇です。鹿の糞のように小さくて臭いが気にならなくて、ルリセンチコガネのような虫がすぐに処分してくれるのなら構わないのですが、ハエがたかり強烈なにおいを周りに放ちます。
その匂いで気が付くため、見つけ次第穴を掘り、スコップで掬い取って埋めていました。
そんなことが何度も続くので、最初に取った対策が忌避剤を撒くことです。猫の嫌いな臭いや刺激性によって猫を遠ざけます。
ただ、雨や風などで効果はだんだんと薄れ、臭いに慣れて来たのか効かなくなりました。次に試したのはホームセンターで販売されていた「とげとげシート」です。
30cm角ほどのプラスティックの網に突起が付いたものです。猫のトイレと化している場所に置きましたが、状況は変わりませんでした。
つなぎ合わせて塀の上に固定し、隣の塀から降りてくる地面にも設置しましたが、「とげとげシート」の上を平気で歩いています。
安価な対策では効果が出ないので、ネットで見つけたセンサー感知式の超音波発生器を購入することにしました。動物が近づくと超音波と光と音を出して追い払う装置です。
これもだんだんと猫が慣れてしまい、費用対効果を考えるとあまり良い買い物ではなく、そのうちに電池を換えても反応しなくなりました。
その後猫の気が変わったのかトイレと化していた花壇では糞をしなくなりましたが、今度は砂利を敷いてある前庭の通路が新しいトイレになりました。
傍にメダカのいる小さな池があり、孫たちがよく砂利をつかんで池に放り込んで遊んでいるので、ここをトイレにさせるわけにはいきません。
ここを通れないようにするため、高さ1mほどの網を張ることことにしました。片方をフェンスに固定し、反対側は棒をつけて壁に引っ掛けるようにしました。
物理的に「通せんぼ」することによりここでの糞害は解決しました。様々な手段が功を奏したのか、我が家の庭で糞をすることはなくなりましたが、散歩のルートになっていることは変わりません。
そこで塀の上にも網を設けることにしました。その設置方法をいろいろ考えた結果が写真の網です。パイプを組んで塀に固定し、その上に網をかぶせてあります。
最初は網の隙間を何とか工夫して通っていたようですが、隙間を閉じるなどして通り道を封じることができたようです。
ただ、まだ地上のルートが残っていいて、庭を横切る猫と目を合わすことがあります。一瞬立ち止りますが、追い払う動作をしない限り無視して去っていきます。
このルートも網を設置して防ごうと思っていますが、猫との知恵比べは当分続きそうです。
キンカンジャム(令和2年3月20日)
我が家の庭には食べられる実や、芽のつく木がいくつかあります。
20年くらい前に食べた後の種を植えた枇杷の木は、伸びる度に大胆に剪定するため実はつけませんが、家内の枇杷葉温灸に役立っています。
畑の持ち主からもらったタラの木は、庭に植えるような木ではありませんが、3mくらいの高さになり早春にたくさんの芽をだします。
このタラの芽の天ぷらは、菜の花の天ぷらと共に一番の好物です。
ブルーベリーも20年以上前に植えた木ですが、株分けをして増やし、季節になると500個ほどの実をつけます。
色づいた実を毎朝収穫していましたが、孫たちが遊びに来るようになってからは色づいてもそのままにしています。
やぶ蚊バリアーを地面に吹き付け、蚊取り線香を焚いて蚊を追い払って、孫たちが採りたての実をたくさん食べられるようにするためです。
家を建てた時に植えたキンカンは毎年たくさんの実をつけ、餌が少ない冬の時期にはヒヨドリが一日に何回も食べに来ます。
メジロもこの木に来ますが、メジロは直接実を食べることはなく、ヒヨドリが突いて落とした実の果汁をなめています。
鳥たちの他にこのキンカンが大好物なのが孫たちです。
この時期我が家に来ると、低い所になっている実をちぎって食べています。
孫娘は自分のことを「僕」、食べることを「あべる」と言いますが、「僕キンカンあべる」と言いて、採ったキンカンを持って前の公園のベンチに座って食べています。
採ってそのまま食べようとするので、濡らしたタオルで拭いて渡すのが私の係です。
ゴルフ仲間のTさんの奥さんもこのキンカンが大好物で、昨年差し上げた時は海外旅行に持って行き、空港のロビーで食べていたと聞きました。
何年か前に枝がたくさん枯れて実のつきが悪くなった時がありましたが、大胆に剪定したらよみがえり、またたくさんの実をつけるようになしました。
実が青くて小さい時に摘果したので、今年は大きな実がたくさんできました。
隣に植えてある雪柳の花が咲くころに、ヒヨドリが食べる分を少し残してほとんどの実を収穫しました。
お隣に配り、我が家のはちみつ漬けに使ってもかなりの量が残りました。
家内が旅行に出てキッチンが自由に使えるので、これを使ってジャムを作ることにしました。
スマホでレシピを検索した動画によると、キンカン10個を茹でてから種を取り出し、グラニュー糖は130gとレモン汁を少々加えるとできるそうです。
そこで一番大きな鍋をひっぱり出してきてキンカンを茹で上げ、数を数えながら種を取り出すとその数は350個。
レシピで見たような大きなキンカンではないので数は150個くらいに換算し、近くのスーパーで2kgのグラニュー糖を買ってきました。
次はキンカンを細かく刻むのですが、これがかなりの手間で全部を切り終えるのに1時間以上かかりました。
グラニュー糖と一緒にして鍋に入れ、レモン1個を絞ってヘラでかき混ぜるとグラニュー糖はすぐに溶けて飴状になり、見た目はカレー鍋です。
次は瓶詰です。ビンとフタを煮沸してキッチンペーパーの上に逆さにして乾かしてからジャムを詰め、軽くフタをして煮沸します。
その後逆さにしてさらに煮沸して冷まし、キンカンジャムの瓶詰が7つ出来上がりました。
ここまで本格的に作ってきたのでラベルを付けようと思い、私の似顔絵の付いたラベルをプリンターで打ち出し貼り付けました。
後で気が付いたのですが、変換を間違えたようで「特製」キンカンジャムが「特性」キンカンジャムになっています。
アンパンマンの好きな孫たちに「ジャムおじいさん」からの素敵なプレゼントができました。
オクラ(平成30年9月19日)
オクラはアオイ科の一年草です。アフリカ北東部の原産で熱帯から温帯各地で栽培され、エジプトでは2000年以上も前に栽培されていたといいます。
日本へは明治初期に導入されましたが、栽培はきわめて少なく、近年ようやく普及してきた野菜です。
断面が五角形の星形になるユニークな形と、独特のヌメリが特徴で、このヌメリのもととなっているのは、水溶性食物繊維のペクチンと多糖類の混合物です。
これらの成分には整腸作用があり、便秘にも下痢にも効果的に働きます。
腸内コレステロールや胆汁酸の吸収を妨げる働きもあるので、動脈硬化症、胆石症の予防にも効果があるそうです。
また、アルコールから胃壁をまもる働きもあり、お酒のおつまみにも最適です。
旬は7~9月なので、夏バテ防止のためにも積極的に食べたい万能野菜で、生で食べるのが理想的です。
この時期、我が家の昼食の定番は、この理想の食べ方に近い生オクラのソーメンです。
湯がいたソーメンの上に刻んだ生オクラを載せ、ソーメン汁をたっぷりかけて柚子胡椒を薬味にいただきます。
オクラのねばりが汁とソーメンを絡め、絶妙の食感になります。他に梅肉和えや天ぷらもよく食卓に上ります。
食材のオクラは自家製です。
毎年苗を買っていましたが、本格的に農業を始めた高校の同級生から栽培の方法を聞いて、今年は種から育てることにしました。
買い揃えたのは角オクラ、丸オクラ、白オクラ、赤オクラの4種類です。
小さなポットに種をまき、少し苗が育ってから畑に10cm間隔に植え替えました。
普通、こんな密には植えることはしないのですが、オクラだけはこれがいいのだそうです。
畑でなった実は1~2日ですぐに硬くなり収穫しそこないます。
ただし、これだけ密集すると、肥料の取り合いとなり、さすがにオクラの実も成長がおそくなります。
そのため、収穫ミスがなくなる上に、収穫数が増えることになります。
この時期オクラと同じくらい勢いよく育つのが雑草です。
ほおっておくと直ぐに背丈の半分くらいの高さになり、通路も含めた畑全体が覆われてしまします。
暑さを避け、まだ畑に日があたる前に何回か鎌で刈っていたのですがらちがあきません。
家には電動の草刈り機があるので、車の電源を使えば動かせるのではないかと考えました。
草刈り機の消費電力は280Wと書いてあります。ネットで調べて直流12Vを交流100V に変換する定格出力300Wのインバーターを購入しました。
試しに家の前で車のエンジンを駆け、アクセサリーソケットにインバーターを差し込み、
芝刈り機のコードを繋いでスイッチを入れると一瞬回転してすぐに止まってしまいました。
その後反応しなくなり、車のヒューズが飛んだようです。
改めて説明書を読んで見ると、注意書きに電動工具などのモーターを使用するものは表示されている消費電力の10倍以上が最大消費電力の目安です
と書かれています。
つまり購入した1万円ほどのインバーターは力不足で、草刈り機を動かすパワーのあるインバーターは数万円します。
車から電源を取るのはあきらめ、新たに充電式の草刈り機を購入することにしました。
早速使って見ると切れ味は鋭く調子は良いのですが、20分ほどすると蓄電池が切れてしまいます。
すぐにパワーが切れてしまうウルトラマンの様です。
畑全体の草刈りには4回ほど充電が必要で、家に帰り2時間かけて充電し直しました。
もっと効率の良いエンジン式にすればよかったと後悔していますが、何回も買い替えるわけには行きません。
雑草の怪獣と戦うには、効率の悪いこのウルトラマンに頼らざるを得ないようです。
鳥のアパート(平成29年4月8日)
『吾が庭に来てゐる小鳥たのしそう』
新聞に掲載されていたNHKの全国俳句大会の受賞作品で、次のようなコメントが添えてありました。
「静かな昼下がり、小さな物音に外を見ると、芝生の上に小鳥が数羽かたまっていました。
まるで子供が仲良く遊んでいるようで、笑ってしまいました。狭い庭に寄ってくれてありがとう。」
季語もはっきりしてなくて素人目には入賞するような作品とは思えないのですが、辛口のコメントで有名な夏井先生ならどんな評価をされるのでしょうか。
我が家の庭にも毎日たくさんの鳥がやってきます。キンカンの実の熟す頃は、ヒヨドリが日に何度も実を啄みに来ます。
毎年200個ほどの実のなっていたキンカンは、病気のためか枝が枯れだしたため大胆に剪定したところ、今年は少ししか実を付けませんでした。
その実も今ではすべて食べつくされてしまいました。それでもヒヨドリはやってきますが、新しい食べ物を見つけたようです。
畑に植え替えようと庭に種をまいておいたホウレン草です。
ヒヨドリがホウレン草を食べるとは知りませんでしたが、5cmほどの大きさに育った葉がことごとく食べられています。
他にはスズメとキジバトがやって来ます。
1年ほど前、鳩の餌と小鳥の餌をホームセンターで買ってきて、脚の付いた植木鉢に撒いたところ毎朝現れるようになりました。
そこで餌台を作ってやろうと思い、植木鉢を加工してパイプの柱を立て、その上にスズメ用の小さな皿とキジバト用の大きな皿を2段に取り付けました。
2つの皿の間隔は狭くしてあるので、下の段の皿にはキジバトが止まることができません。
雨の日は、パイプの付いた皿を逆さにして差し込める傘も取り付けられるようになっています。
植木鉢に千日紅の花が咲き、下段の皿にはスズメが群がり、上段の皿には大型のキジバトが止まる賑やかなアパートの様な光景を毎朝見て楽しんでいました。
6月ごろには巣立った小スズメが親鳥から餌をもらう姿が見られます。
餌をねだる時のしぐさはなかなか愛らしく、羽を小刻みに震わせて「ちょうだい、ちょうだい」と言っているような感じです。
ある朝、いつもの様に餌台の皿に餌を入れてから、新聞を取りに行くと差出人名のない見慣れない封筒が入っていました。
中身は野鳥のフン害や鳥インフルの記事のコピーです。
両隣の家のおばさんは、ITとは程遠い方なので手紙の差出人はどうやら裏の家のおばさんのようです。
裏の家の2階の窓からは私が作った鳥のアパートがよく見えます。
近所迷惑になっているとは思っていませんでしたが、迷惑に感じている方がおられたようです。
仕方がないので餌台を窓から見えない場所に移して餌やりを続けていましたが、我が家のリビングからも見えない位置です。
それでは楽しくないので、裏の家の窓からは死角になっている庭のコンクリートの上に直接餌を撒くようにしました。
毎朝新聞を取りに出ると20羽ほどのスズメが屋根に並び、餌が撒かれるのを待っています。
カップ1杯の餌を4つに分けて置くや否や、キンカンの木を伝って雪崩を打つように餌に向かってきます。
身近な鳥が急速に数を減らしつつあり、東京ではツバメが観測できないそうです。
それは人間のせいですが、その人間の文化に合わせて順応し、生きながらえているスズメのような鳥も多いようです。
餌のやり方を変えただけでクレームに応えたわけではありませんが、その後苦情の封筒は届いていません。
身近な生物には積極的に関わりながら、隣人の顔や声に無関心で過ごしてきたことに少し後ろめたさを感じながらも餌やりを続けています。
農業土木(平成28年10月18日)
「土木」の名前の由来は、中国の前漢時代の古典「淮南子(えなんじ)」にでてくる「築土構木」という言葉から来ているといわれています。
英語圏においては「civil engineering」 が土木工学にほぼ相当します。
「engineer」という語は、古くは「工兵」の意があり、その派生語として軍と関係ないが同様の土木工学を指す句として、
軍事以外の部門を意味する 「civil」を付けたのが由来とされています。
日本では、古くは土木を「普請」、建築を「作事」と呼んでいました。
築城に当てはめてみると、堀を削り石垣を築くのが「普請」で、櫓や天守閣など上部構造の建築が「作事」です。
「農業土木」という言葉も古くは、「墾(はり)」や「治」と呼ばれており、あらたに農業土木をおこして新田になった土地を「今治」といったそうです。
「農業土木」という言葉は、軽度・重度の作業が必ずともなう日本の稲作に関係する用語のようで、英語圏にそういう言葉はないそうです。
このことは、私たち日本人は農民のレベルにおいて、石を積み、溝をひき、
土塁を築くなどのこまごまとした土木を営んできたひとびとの末裔であることを物語っています。
大学で土木を専攻した影響もあってか、夏から引き継いだ20坪ほどの畑においては、作物を作るよりも畑を整地する方に力を入れています。
雑草が生い茂るままに放っておいた畑でも、夏の盛りにいくつかトマトと形の悪いナス、それにたくさんのオクラが収穫できました。
夏の作物の収穫が終わったのを機に、本格的に畑の整地を始めました。
先ずは斜面になっている南側と西側の草抜きから始めましたが、前任者がゴミ捨場としていたのか様々なものが出て来ます。
樋やパイプ、畝を覆うマルチと呼ばれる黒いビニールなどに混じってホットプレートが出てきたのには驚かされました。
幅1mの防草シートを斜めに張り、斜面の工事が完成しました。次は畑の畝と通路の作成です。
畑の4隅を歩測して基準になる杭を長方形になるように打ち、それを基準に1m幅の畝と50cm幅の通路を作ります。
畝と通路の境界に支柱を建てて紐を張り、通路の部分の土を耕してすくい上げ畝を高くしていきます。
西側から順番に作っていき、サツマイモが植わっていた東側は、収穫を終えてから整地しました。
サツマイモの葉はまだ青かったのですが、試し張りしてみると立派な芋が出て来ましたので、全てを収穫しました。
前任者が植えられたもので普通のサツマイモと思っていましたが、ちぎれた断面を見ると紫色でした。
全部で20kgほどの紫芋の収穫がありました。芋を掘り終えた後の畝も作り上げて5つの畝ができました。
その1つにはほとんど耕さずに分葱を植えましたが、今20cmほどに伸び、雑草のスギナと共によく育っています。
次の畝には30株ほどブロッコリーを植えました。
これも20cmほどの高さに育っていますが、その上をモンシロチョウが乱舞していて青虫を退治するのが大変です。
見る影もないほどに葉が食われた苗もあります。3番目の畝には青森産のニンニクを植えました。
畝全体を耕すのにはかなりの労力がいるため、クワを使わずに穴掘り機を使ってスポット的に穴を掘り、そこに肥料をやり、埋め戻して球根を植えました。
残り二つの畝には大根と白菜を植えるつもりで同じように60個ほどの穴を掘りました。
この穴掘り機は以前庭にチュウリップを植えていた時に買ったもので、その後長い間物置に放っておいたものをひっぱり出してきました。
本来の使い方はフェンスなどを建てるときに支柱の穴を掘るためのもののようです。
一定の幅の直線で区切られた畝と通路、クワの代わりに穴掘り機を使った植え方などは周りで畑をしておられる方たちにとっては珍しいやり方のようです。
先日、私の畑を見ていた隣のおばさんから体力的にきつくなってきたので畑を引継いでほしいと依頼されました。
農業土木の実力が認められたのでしょうか、合わせて30坪ほどの畑を持つ農民に昇格しました。
斑鳩の梨(平成28年10月5日)
毎月2回大学時代の同級生たちと京都府の南にあるレイクフォレスト・バードスプリングコースでラウンドしています。
このゴルフ場の魅力はプレー費の安さと昼食のバイキングの豪華さです。
併設するリゾートホテルのレストランを兼ねるため、数多くの種類の料理が並びます。
トレーに割り箸と大きな皿を乗せ、先ずはサラダから取り始めます。
色々な種類のサラダが並んでいますが、皿に盛るのはポテトサラダとスパゲティ―サラダの2種類です。
ざる豆腐の置いてあるコーナーで小鉢を3つ加え、その1つに山盛りの豆腐をすくいます。
さらに何種類かの野菜の煮物、天ぷらや焼魚を追加していきます。
コロッケも魅力的ですがボリュームがあるのでパスします。鶏の空揚げや肉類に手を出すことはありません。
グラタンを追加すると大きな皿は一杯になり、空いているのは2つの小鉢だけです。
その一つにパスタを入れ、最後の小鉢にカレーを盛りつけて完了です。
各人が運んできたトレーを見ると好みの料理が分かります。
肉類が満載されたトレーもあれば野菜が中心のトレーもあります。
私のトレーは淡水化物が多いようです。氷の入ったコップに持参した焼酎を注ぎ、昼の宴会が始まります。
ここのバイキングでは、食後のデザートのコーナーも充実しています。
果物好きのF君は、「もう腹いっぱい」と言いながらも新しい皿に何種類かのケーキや果物を満載して帰ってきます。
果物は嫌いではありませんが、それほど積極的に手を出す方でもありません。
ただし柿だけは例外で、シーズンになると道の駅針テラスでよく買い求めます。
ゴルフ仲間のUさんの会社に勤めておられた方が柿農家を継ぎ、ここに柿を出荷されています。
「山中の柿」と生産者の名前が書かれた大きな柿でかたくて甘いのが特徴です。
私の住んでいる三郷町の回りは果樹栽培が盛んでブドウは生産者の店で買います。
昨年からはこれに梨が加わりました。竜田川が大和川と合流する斑鳩の里には梨畑が広がっています。
昨年の秋、Y理容院の奥さんから教わった梨農園を訪ねたのですが、時期が遅かったためその店での販売は終わっていました。
近くに同じように直売している店を見つけ、ただ一種類残っていた「秋月」と言う品種の梨を買い求めました。
「20世紀」か「長十郎」しか食べたことがなかったのですが、この梨のみずみずしさと甘さはその比ではありません。
今まで食べた梨で一番おいしく感じました。
今年はすこし早めに買い求めようとゴルフの帰りに斑鳩の里に行くと、狭い道を挟んで何軒かの直売所がオープンしていました。
路上に車を止められないため、昨年とは違う駐車場のある店に入ると「豊水」や「幸水」と言う品種の梨が販売されています。
早い時期に収穫される品種で、「秋月」と同じくらいみずみずしくて甘い梨です。
この店で2回目に買った時の梨は、熟し過ぎた梨だったようで、切ると断面が茶色くなっていました。
これに懲りて別の店を探していた時に見つけたのが、国道25号バイパス沿いにある谷川農園です。
様々な種類の梨が順に収穫できるらしく「豊水」や「幸水」のほかリンゴの様な食感の梨もありました。
法隆寺のゴルフ場からの帰りに仲間も連れて何回か立ち寄るようになると店のおばさんとも親しくなり、
この前寄った時には梨とブドウを振舞って頂きました。
お店に出ている梨は傷一つないきれいなものですが、カラスの被害にあう梨も多いようです。
木をゆすって梨を落としてから啄むそうで、見せてもらった梨には嘴の跡が付いていました。
最後に収穫する「秋月」は10月中ごろで収穫を終えるそうです。
残暑に終止符を打つかのように梨が終わり、秋の法隆寺の風景に映る柿へと季節は進んで行きます。
果物の主役の交代から季節の移ろいが感じられます。
陽光桜(平成28年3月9日)
福定の大銀杏(平成27年12月17日)
11月の終わりに、和歌山県中辺路町福定の宝泉寺境内にある大銀杏を見に行ってきました。
熊野古道を何回かに分けて歩き、それと並行して走る国道311号線は何度も通ったことがあるのですが、
その銀杏のことはテレビで紹介されるまで知りませんでした。
山間の道路を富田川沿いに進むと急に視界の開けるところがあり、周りの木とは比べ物にならない大きさの黄色く色づいた銀杏が目に飛び込んできました。
牛馬童子が欄干に飾られている橋の手前に案内の看板があり、細い道を登って行くと反対方向から来た車と出会ってしまいました。
普段は私の方から道を譲りますが、すれ違えるところまではかなりバックしなければなりません。
相手の車は数メートルバックすればすれ違える場所があります。
状況を判断してバックしてもらえるものと思って止まっていたのですが、なかなか動き出しません。
暫く我慢比べが続いてからようやくバックし始めました。帰りの高速道路でも同じようなことがありました。
朝暗いうちにホテルを出たのですが、後ろの車がアップライトで着いてきます。
追い越し区間のある所で左により速度をゆるめて左折の指示器まで出して追い越しを促したのですが、後ろに着いたまま離れません。
こちらが期待する常識的な行動をとってもらえない運転者が増えてきているように感じます。
福定の大銀杏は樹齢400年、幹の周囲5.3メートル、高さは22メートルの大きさでお寺の建物を覆うようにそびえ立っています。
信貴山にも仏手白果と呼ばれる大銀杏がありますが、それとは比べ物にならない大きさです。
太い幹の途中から何本もの枝がまっすぐに伸びて空を覆っています。
おそらくかなりの大木になった頃に伐採され、その切株から胴吹した枝が大きく育ったものと思われます。
あまりに大きいため下からカメラを構えても全体が入りません。銀杏の回りを一周してお寺の駐車場に戻ると、地元の方が色々な土産を売っています。
見学させて頂いたお礼にさつま芋を練りこんだモチの中に粒あんが入った芋モチを買って帰りました。
東急ハーベスト南紀田辺では、いつもは夕食を部屋に持ち込むのですが、
今回女房あてに送られてきた誕生日の無料招待券にはレストランでの食事も付いています。
事前に予約しておいた夕食は女房が洋食で私が和食のコースです。サービスドリンクもついていて久保田の千寿を頼みました。
一人分の料金で、豪華な夕食を堪能できました。
翌朝、帰る途中で岸和田のサービスエリアで朝食をとり、いつものように大好物の水ナスを買いました。
温室栽培か冷凍かは分かりませんが、この時期でも夏と同じ値段で販売しています。
2~3日して食べごろになった時に袋から取り出して頂きましたが、いつもは捨てている糠味噌を利用してキュウリを漬け込んでみました。
初めて自分で作ったキュウリの漬物はなかなかの出来栄えで後日美味しく頂きました。数少ない料理のレパートリーが一つ増えました。
小さな訪問者(平成27年4月20日)
早春にキンカンの実が熟する頃にやって来るのはヒヨドリです。
多い時は10分に一回程のペースでキンカンの実を啄みに来ます。細い枝先を掴んで逆さになりながら、器用にキンカンを突いて頭を振って皮を剥きます。
暫くすると実は枝から外れ、今度は地面に落ちたキンカンを同じように啄み、最後に中身を飲み込み、さも満足そうに飛び去って行きます。
我が家のキンカンは一羽のヒヨドリに独占されているようで、他のヒヨドリが近づくと鋭い鳴き声を立てて追っ払います。
ヒヨドリの他にキンカンの木の周りには、土鳩やスズメがよく餌を探しにやってきます。
あまり収穫はなさそうなので、先日ホームセンターでハトの餌を買ってきて置いてやりました。
朝に一握りの餌を器に入れてやると、昼前には空になっています。
時々ヒヨドリとスズメが鉢合わせすることがありますが、ヒヨドリは食べる餌が違うのにも関わらずスズメを追っ払います。
利害関係がないのに自分の縄張りに入って来られるのが気に入らないようです。
人間社会の様々ないじめも、この鳥の脳を引き継いだことによるものかも知れません。
桜の花が咲く頃、他の食べ物が簡単に手に入るようになったのかヒヨドリは来なくなります。
そのタイミングが我が家のキンカンの取り入れ時です。ヒヨドリの姿が消え、残されたキンカンの実の収穫を終えると本格的な春の訪れを感じます。
白木蓮(平成26年4月3日)
先日の新聞に「一合の酒いっぽんの山桜」という句が載っていました。
コンビニで買ったワンカップを持って気に入った一本の山桜の下に腰を下ろして、花を肴に飲む。
ちょっと淋しくて満ち足りたひと時が感じられます。
山桜を白木蓮に置き換えるとすれば、迷わずにこの木を選びたいのですが、幼稚園の隣の庭に植えられており、
一合の酒が合う雰囲気ではなさそうです。
杉酒(平成26年4月1日)
そこで、今年は花粉をシャットアウトすることと、アレルギー体質を改善する両面の対策を徹底するようにしました。
まず花粉を取り込まないように、花粉を98%カットするジーンズメガネと鼻の穴に入れる鼻マスクで完全防備しました。
体質改善の決め手は杉酒です。
杉の実がまだ硬い冬に採ってきて、お茶の葉を入れる袋に詰め、焼酎に漬け込みます。
2~3ヶ月すると花粉のエキスが染み出して琥珀色の杉酒ができ上がります。毎晩一口舌の下に含み、転がしてから飲み込みます。
花粉症の根治療法で花粉の成分を元にした「なめる」薬が承認されましたが、
酒好きが考え出したこの杉酒も同じような効果があるのではないでしょうか。
花粉カットと体質改善はどちらも効を奏しているようで、全く症状が出ない訳ではありませんが、日常生活に支障のないレベルになりました。
女郎蜘蛛(平成25年11月15日)
蜘蛛の他にも庭には季節ごとに色々な生き物が現れますがほとんどが害虫で、椿の若葉には毛虫が群がり、山椒の葉は蛾の幼虫の餌食になります。
ブルーベリーの一番太い幹には穴が開けられており、実をほとんど付けなくなっていましたので昨年切ってしまいました。
先日、枯れ木を処分するために小さく切っていたところ、中からカミキリムシの幼虫が出てきました。
木を切ってからも幹の中にいて食べ続けていたようです。青虫と同じように蜘蛛の巣に引掛けようとしたところ、重すぎて落ちてしまいます。
そこで、幼虫を糸で縛り、糸の端をテープで壁に固定し、宙吊りにして蜘蛛の巣に引掛けたところ、振動を感じた蜘蛛が襲いかかりました。
少し後味の悪さを感じながらも、ブルーベリーの敵をとったつもりでいました。
それからしばらく経ったある夜、寝ていた時に刺されたような痛みを感じてびっくりして頬に手をやると、指先に硬くて丸い虫が触れました。
その匂いですぐにカメムシと分かりましたが、カメムシが刺すとは知りませんでした。
後で調べたところ、刺す種類のカメムシではありませんでしたが、強烈な匂いのする体液を吹きかけられたのを痛みと感じたようです。
蜘蛛の餌食になった虫たちの復讐でしょうか、しばらくの間、頬の痛みと嫌な臭いがとれませんでした。
カラスウリ【2】(平成25年10月10日)
F先生は赴任されて間もない若い数学の先生で、生徒たちとの距離感も近く、家へおじゃましたことがあります。
お酒が好きで酒の肴も自ら作られ、山芋の短冊を三杯酢にあえて鷹の爪を乗せた一品を振舞って頂きました。
一浪して2回目の大学受験の時、それまでの課目で手ごたえを感じていましたので、最後の数学の試験を何とかクリアーしたいと、
心の中で「力を貸してください。」と先生にお願いしていました。願いは通じたようです。
その後一度同窓会でお会いし、昨年の大津祭の日には偶然実家近くで再会しましたので、お誘いして実家の2階から山車の巡行を見学しました。
相変わらずの酒好きで、ワンカップを持参しての祭見物とのことでしたので、梅乃宿の吟醸酒と子持ちアユの塩焼きでもてなし、
師弟2人の同窓会となりました。
高校時代の話の中で私と同学年の生徒のことをよく覚えておられるので、「毎年生徒が変わる中で先生はどうやって覚えているのですか。」
と聞いたところ次のような答えが返ってきました。
「毎年その学年で『紅一点』、ひときわ目立つ美人の生徒を原点にして、その関連で同じ学年のその他大勢の生徒を覚えていく。」
私の学年ではマドンナだったO嬢の名前を上げられました。この写真のカラスウリがO嬢とすれば、高校時代の私は隅っこの笹の葉でしょうか。
カラスウリ(平成25年9月18日)
カラスウリは秋に卵より少し小さいサイズの真っ赤な実をつけ、その種は大黒様の形をしていて、はじめ黒ですがやがて金色に変わります。
色と形の変化が面白くて、小さい時によく近くの山へ取りに行った記憶があります。
真夏の散歩道でこの花を沢山見かけましたが、いつ見てもしぼんでいました。
そこで、蕾が付いている蔦を切り取って水につけておいたところ、夜、割れた蕾の中からほどけるようにして5枚の花びらが大きく広がっていました。
彼岸花の咲くころ、同じ場所に咲き遅れた花を見つけました。夜にしか開かない花もこの時期には朝に開いていましたが、
レースのカーテンを引きちぎり体に巻き付け踊っているような妖艶な姿は、やはり真夏の夜が似合うようです。
春日ぼうぶら(平成25年9月11日)
「春日ぼうぶらどんたちゃ 尻ひっぴゃーで 花ざかり 花ざかり ピーチクパーチク ひばりの子」。
「春日ぼうぶら」はひょうたんの形をしたかぼちゃの一種で、昭和30年ごろまで農家の庭先によく植えられていたそうです。
表面はくすんだだいだい色ですが、中身は鮮やかなだいだい色をしています。長さ50㎝ほどまで成長するものもあります。
食感はサツマイモに近く、カボチャよりも甘味が少なく、大味です。
すき焼きでは、肉よりもネギや椎茸の方に箸が進みがちなほどの野菜好きですが、これは苦手です。
女房の母親の畑にゴロゴロ転がっているとのことですので、当分ぼうぶらどん達と付き合わなければならないようです。
ホテイアオイ(平成25年8月30日)
奈良には花の名所が沢山ありますが、花見だけを目的に遠出するのは気が進みませんので、ゴルフ場からの帰りに寄り道する花見を楽しんでいます。
春の「又兵衛桜」に続いて、前述のゴルフ場からの帰りに「ホテイアオイ」を見てきました。
畝傍山に落ちる夕日に照らされ、休耕田一面に満開の花が輝いていました。
電撃蚊取ラケット(平成25年8月26日)
庭の水撒きの時、以前は片手に殺虫剤を持っていましたが、今はこのラケットです。
幼虫のボウフラに対しても強力な武器があります。それは10円玉です。水に溶け込んだ銅イオンが羽化を妨げるそうです。
環境に優しいこの2つの武器で残り少ない夏の戦いを制するつもりです。
白鷺(平成25年8月21日)
琵琶湖の自然は、私が同じ場所で釣りをしていた半世紀ほど前とはずいぶん変わりました。
小さな川が注ぐ浅瀬では、繁殖期に婚姻色で虹色に光る「オイカワ」が群れを成して泳いでいました。
琵琶湖の住人は、「ぼてじゃこ」、「アユ」、「もろこ」など日本の魚たちです。
それが「ブラックバス」や「ブルーギル」などの外来の魚たちに取って代わられてしまいました。
外来の「セイタカアワダチソウ」は日本の環境に順化して背が低くなり、他の植物と共存するようになりましたが、
補食の関係にある外来の魚たちにそれを望むのは、無理なのでしょうか。
リコリス「夏水仙」(平成25年8月14日)
今年は、もう一色加えたいと思って、ヒガンバナ科のリコリス(夏水仙)を植えたところ、
彼岸にはまだひと月も早いこの時期に、大きなピンクの花を咲かせました。
猛暑の中力強く咲き、迫力はありますが、暑さの区切りとなるような優しい季節感は感じられない花です。
ヤモリ(平成25年6月27日)
我が家のリビングの窓にも、明かりを求めて集まる虫を捕えようと2匹のヤモリが現れます。
獲物の気配を感じると鋭く動きますが、縄張りがあるのでしょうか普段はケンカばかりしています。
家主の夫婦関係が窓に映るのでしょうか。
カルガモ(平成25年6月25日)
女房の実家があった縁でこの地に家を建て、子供たちはすでに巣立ちました。
リタイアー後も、田舎のカルガモのごとく環境豊かなこの地で暮らしてつづけていきたいと思っています。
はちく(平成25年6月21日)
梅雨の時期近くの竹藪で採ってくる筍がよく食卓に並びます。これを淡竹と思っていたのですが、調べたところ真竹でした。
言葉の意味も名前も間違えていましたが、孟宗とは違って少し苦みのある味だけは確かなようです。
メダカ(平成25年6月17日)
通学で自転車を出す時かえるの飛び込む音がすると、その日はついていると言っていた息子も家を出てもうずいぶん経ちます。
先日その池に新しい住人が住むようになりました。メダカです。小さなビオトープで元気に泳ぎ回っています。
葛城山のつつじ(平成25年5月29日)
右手は植林帯、左手は雑木林が続く尾根伝いのダイヤモンドトレールを抜けると眼下に赤い花の絨毯が現れます。
渋滞を避けるため早めに下山しましたが、山麓線からロープウェイ乗り場へ続く道はこれから登る人の車でいっぱいでした。
朝の散歩 (平成25年5月13日)
信貴川は信貴山の東麓に発し、大和川に注ぐ小さな川です。通勤していた頃はこの川に沿って王寺駅まで20分ほどかけて歩いていました。 自宅近くの竹藪の傍を流れるところでは、初夏には蛍が舞います。 この川沿いの山道を上り、麓に広がるブドウ畑に沿って1時間ほど散歩するのが、日々の日課になってきました。 晴れた日には奈良盆地とそれを囲む山々が見渡せます。季節は春。咲き誇る花々と木々の濃い緑が目に鮮やかです。 写真をクリックするとアルバムが開きます。