カレンダー(平成25年12月9日)

 今年もスイスから来年のカレンダーが届きました。我が家のトイレには毎年このスイスの美しい風景のカレンダーがかかります。
 アメリカのバーモント州ブラットルボローにあるS.I.T(School for International Training)に短期留学したのは、40年程前の大学3回生の時でした。 世界各国からの50人程の学生と3ヶ月間一緒に生活して英語を学び、国際交流を図るプログラムに参加しました。 背の高い、もの静かなスイス人のウルスと出会ったのはこの学校です。 他にも胃が悪いからと言っていつも水筒に入れた牛乳を飲んでいたメキシコ人のマリオ、ちょっと気の強い韓国の女の子オコ、 卓球のうまいイランの女の子フロー等、若い学生ばかりですぐに親しくなります。 週末は親しい仲間とレンタカーでモントリオールへの観光旅行や、様々な国の学生主催の文化交流パーティー等楽しいイベントが沢山ありました。 スペイン人の女の先生、リディアはギターの弾き語りがうまく、ジョルジュ・ムスタキの歌を聞いたのはこの時が初めてです。 私も日本のフォークソングを何曲か披露しましたが、その中で「小さな日記」が学生たちの間で流行り、 ブラジル人のマリーナと一緒にスタジオで録音しました。後日、さよならパーティーで私と彼女の歌がラジオから流れてきた時は感激しました。
 プログラムの終了後は1ヶ月間のホームステイがあり、私はオハイオ州のスプリングフィールドという町のワムスガンズさんの家にお世話になりました。 ドイツ系移民の家系で一人娘の小学生のジュリーは水疱瘡が治ったばかりで赤い斑点だらけの顔です。 広い裏庭にはレンギョウが咲き乱れ、リスが遊びに来ます。ここで初めて、テレビで見たことのあるアメリカの豊かな家庭生活を体験しました。 ホームステイを終えて帰国する途中のロサンゼルスでは、ウルスのホームステイ先に2日程お世話になりました。 プール付の豪邸に住んでおられるボンド夫人に親切にして頂き、当時流行っていたロバータ・フラックの曲の生演奏が流れるナイトクラブや ディズニーランドへ連れて行ってもらいました。 彼とはここで別れ、私は途中ハワイで3日ほどのんびりしてから帰国しました。 帰国後何人かと手紙のやり取りをしていましたが、カレンダーの交換という形で続いているのは彼だけです。
 彼はスイスに帰ってからチューリッヒで軍需産業の会社に勤め、テレサと結婚して2人の男の子がいますが、 子供がまだ小さい時に離婚して男手ひとつで息子を育ててきました。 下の子が7年ほど前に家に来た時、親父の手紙や自分の小さい時の写真を見て懐かしそうに家族のことを話していました。 結婚のお祝いに送った日本人形を30年以上たっても大切にしてくれていたようで、カレンダーと一緒に写真を送ってきてくれました。 今、彼はリタイアーしてブラジル人のノーマと再婚し、夏はスイス、冬はブラジルで生活しています。 縁とは不思議なもので、彼女とは私も一緒にいたアメリカの学校で知り合ったとのことです。 そう言えば学校主催のスキー旅行に行った時、初心者のブラジル人の女の子を後ろから抱いて親切にコーチしていた彼の姿を思い出します。 帰国後ずっと日本に引きこもっていた私などと違い、生き方が国際的です。自由の身になったこれからは少し見習っていきたいと思っています。