東京訪問(平成28年5月5日)

 4月の初め、結婚してマンションを買った下の息子を訪ねて女房と二人で東京へ行って来ました。 新大阪駅でお弁当を買うつもりで新しくなったエキマルシェ新大阪を覗いていると、好物の焼サバ鮨と穴子鮨を販売している店を見つけました。 初孫ができてから何度も行くようになった博多駅では、阪急百貨店にある長崎平野屋の焼サバ鮨と穴子鮨のセットをよく買い求めますが、 大阪で買うのは初めてです。新幹線の車内で頂きましたが、ほどよく脂がのっていて、いままでに食べた焼サバ鮨では一番の味でした。
息子のマンションの最寄り駅は、品川より新宿方面寄りだと思い込んで山の手線に乗り換えましたが間違っていました。 バックして田町駅の改札まで迎えに来てくれた息子と会い、駅前通りに植えられた満開の桜を眺めながらマンションに向かいました。 田町は明治後半に埋め立てが進められるまで、海であったため運河に囲まれています。 その運河をいくつか渡って10分ほどでマンションに着きました。 古いマンションを躯体だけを残して大規模に改築したリノベーション物件で、周りのモダンなマンションと比べると外観はレトロな感じがします。 階高が低く、手を伸ばせばエントランスの梁に手が届きそうですが、地震には強そうです。 内装やエレベータなどの設備は大幅に改装されていて、防犯対策も充実しています。 地方であれば同じ金額でもっと広い新築のマンションも購入できますが、東京で新婚生活を始めるには十分なようです。 屋上に上がるとレインボーブリッジや羽田線のモノレールが近くに見えます。 2時間ほどの訪問でマンションを後にして、めったにない桜の季節の東京を見物するため、上野へ行って来ました。 交通整理のお巡りさんが、かっこよく群衆を導いているのをテレビで見たことがありますが、 上野のお巡りさんはルールを守らない人たちに向かって怒鳴っていました。 上野公園は、桜の下も通路も花見の人であふれかえっています。しかもなんと外人の多いこと。 「花と酒」の日本の文化は彼らにとっても魅力的なものなのかも知れません。 上野にある東京都立美術館ではボッティチェリ展を見ましたが、ここでも作品よりも人を見に来たようなもので、早々に引き上げました。
 翌日は東急ハーベストに宿泊するため、高速バスで千葉の勝浦へ向かいました。 途中大多喜で下車し、桜祭が開かれていた大多喜城を見学してからいすみ鉄道に乗車しました。 線路わきには菜の花がいっぱい植えられており、レトロな電車が満開の花の中を走ります。 大原で外房線に乗り換え、鵜原駅からは歩いて次の目的地の勝浦海中公園を目指しますが、 歩道のないトンネルを幾つも通らなければならず、歩いて行くところではなさそうです。 公園の前にバス停がありましたので、帰りはバスで勝浦駅へ向かいました。
 次の日は東京駅で造船会社の独身寮で一緒だった友人のT君と奥様も交えての再会です。 彼が予約してくれた「日本橋越州」は「朝日酒造」の直営店で久保田のお酒と新潟名物のへぎそばを堪能しました。 新しい人間関係が「Who are you?」から始まるのとは違い、永いブランクがあっても親しかったT君とは「How are you?」から始まり、 すぐに打解けることができます。そんな話をしていて、一木会のFさんから聞いた冗談のような話がうけました。 オリンピックのエンブレム問題で有名な元総理が現役の時、クリントン大統領に「How are you?」というつもりが「Who are you?」と言ってしまいました。 クリントンの機知に富んだ応えは、「I am Hillary's husband」。 T君は鉛筆画が趣味で作品を見せくれましたが、お土産に頂いたプロの奥さんのイラスト画とはかなり差があります。 クリントン家と同様に奥様の実力が勝っているようです。

 河津桜(平成27年3月12日)

 河津桜は、染井吉野のようにぱっと咲いてぱっと散る感じの桜ではありません。 伊豆の温暖な気候と早咲きの特色を生かし、毎年2月上旬から開花しはじめ約1ヶ月を経て満開になります。
3月のはじめ、この桜見物を兼ねて女房達と伊東、熱海へ車で行って来ました。 3本の斜張橋「名港トリトン」が美しい伊勢湾岸道、第2東名を通るルートで、伊東までの距離は400km程あります。 沼津インターで降りて、修善寺から伊豆へ向かう道路の対向車線は花見帰りの車で結構込んでいます。 家を出た時からずーと雨でしたが、伊豆半島に入るころには一段と激しくなってきました。 道の途中にレンタカーのマイクロバスが脱輪して放置されています。 もう乗客はいませんでしたが、この雨の中せっかくの花見が台無しで気の毒な気がします。
この日の目的地は伊豆の小さな海辺の町、稲取温泉です。 稲取には江戸時代から、娘の成長を願う母や祖母手作りの「つるし飾り」が飾られる風習がありました。 お雛様を購入できる裕福な家庭はまれで、せめてお雛様の代わりに手作りで初節句を祝おうという切ない親心から生まれたのが稲取の雛のつるし飾りです。 つるし飾りだけでは素朴すぎますが、文化公園「雛の館」には豪華な雛飾りの周りにたくさんの雛のつるし飾りがあり、華やかです。 雨はますます激しくなり、稲取からの海岸沿いの道は所々冠水していて、水を跳ね上げながら伊東へ向かいました。
 翌日は河津桜祭ツアーの観光バスに乗り、最初に他の東急ハーベストの客を乗せるため、天城高原に向かいます。 前日とは打って変わる良いお天気で、カーブを曲がるごとに車窓から冠雪した富士山が見えます。 河津町までは花見の車が多く信号ごとに渋滞します。河津桜観光交流館の駐車場もマイカーと観光バスで一杯です。 河津桜の原木は、昭和30年頃に河津川沿いの冬枯れ雑草の中で芽咲いているのが見つけられて現在地に植えたもので、 全ての河津桜はこの一本から始まります。 河津駅近辺の河口から河津川にそって「河津桜並木」が3km程続いており、大勢の観光客でにぎわっています。 途中で桜並木を外れ、来宮神社に向かいました。
境内には国の天然記念物である周囲約14m、樹高約24mの樹齢約千年以上といわれる楠の木があります。 杉桙別命(すぎほこわけのみこと)を主祭神に祭るこの神社には、毎年12月18日から23日まで 禁酒、鳥肉、卵を食べないという行事「鳥精進・酒精進」という風習があることでも有名だそうです。
その昔、杉桙別命が酒に酔い、野原に寝ていたところ野火に囲まれてしまいました。そこへ何千、何万という鳥たちが河津川へ飛び込み、 水を含ませた羽を雨のように降らせ命を守りました。その後、杉桙別命は村の平和のために尽力したとのことです。 このことに感謝し、「鳥精進・酒精進」が町内の氏子はもとより、町外の氏子や多数の崇敬者によって守り伝えられ、 これを破ると火の災いがあるといわれています。 このことはお参りした後でバスガイドさんから聞きましたが、どうやら火の災いを招くような参拝をしてしまったようです。

 スカイツリーと二大ブリッジ(平成27年1月27日)

 『とうふ屋うかい』は、東京タワーの下に広大な日本庭園を構える豆腐懐石の店です。 長屋門をくぐり、石畳の階段を歩いて日本家屋の入り口にたどり着くと、大きな鉢に活けられたマンサクが出迎えてくれました。 マンサクは早春に咲くことから、「まず咲く」が東北地方で訛ったものと言われる木で、葉に先立って、 黄色の毛糸を結んだような短冊状の花を枝いっぱいに咲かせています。 下の息子の結婚が決まり、両家の顔合わせの場所として案内されたのが、ミシュランガイドにも掲載されているこの店です。 数寄屋造りの建物内の回廊の途中には、日本酒の大きな仕込み樽があって、てっきり造り酒屋の跡地を利用して建てられたものと思っていましたが、 店の方の話では、東京タワーボーリング場の跡地に新しく建てられたとのことでした。
 会食の後、何年振りかで東京タワーに上ってから福岡へ帰る上の息子夫婦と別れ、私と女房はもう一泊して、翌日「はとバス」に乗りました。 『スカイツリーと二大ブリッジ』のコースで最初に訪れたのは東京スカイツリーです。 朝早いため、スカイツリーの駐車場には2台しか観光バスは止まっておらず、待ち時間なしで最上階の展望回廊まで行くことができました。 あいにくの曇り空で遠くの景色は霞んで見えますが、眼下にはまるで飛行機から眺めるような東京の町が広がっています。 1時間程展望回廊や展望デッキをぐるぐる回った後、少しの時間差で満車になった駐車場を後にして浅草へ向かいました。 数年前に女房と日光へ行った時、ここから発車する東武鉄道に乗って以来の浅草です。 本堂にお参りして裏道を雷門まで進み、仲見世通りを歩いて駐車場に戻りますが、見学時間が十分ありましたので、途中横道の商店街に入りました。 そこで偶然見つけたのが『印傳』の店です。 『印傳』は原料の鹿皮に漆加工を施した日本独自の伝統と美意識をもつ皮革工芸品です。 読売テレビの番組で「フランスのブランド品に勝る皮革製品が日本にもある」として紹介されたのを女房に話したところ、 女房もトンボのデザインの財布を一つ持っていました。袋物として近代的なセンスを取り入れ、柔らかくて強く、優美な製品です。 「もう使うことないやん。」と言われながらも、麻の葉模様の漆加工が鮮やかな黒の名刺入れを買い求めました。
 レインボーブリッジを経由して、昼食はディズニーランド近くのヒルトンホテルでのバイキングです。 アルコールは別途料金がかかりますが、二杯飲めば元が取れる「赤、白ワインとシャンパンの飲み放題」を注文しました。 広いレストランのテーブルには、点心、インドカレー、寿司、天ぷら等東洋に限定した料理が並んでいます。 おいしそうだったので、インドのナンと野菜カレーも皿に載せましたが、その辛いこと、頭から汗が吹き出します。 昼食の後は、最後の目的地東京ゲートブリッジへ向かいます。 中央防波堤外側埋め立て地と江東区若洲地区を結ぶ、長さは2618メートルの橋は、海上部分の長さが横浜ベイブリッジの1.7倍あります。 エレベーターに乗り、都心側に設けられた歩道に上ると、東京の高層ビル群が一望できます。 2頭の恐竜が頭を向き合うようなユニークな形状になったのは、羽田空港に近く高さ制限がある上、橋の下の船の航行も妨げないように配慮したためです。
 東京駅でバスを降り、羽田に向かうモノレールに乗った頃から胸焼けがしてきました。 大阪に着くと痛みは激しくなり、たまらずJR難波駅近くの薬局で薬を買い求めました。 思い当たるのは、昼食の激辛カレーか飲み放題のワインです。 その日は晩御飯を抜いて早めに休んだので翌朝には痛みが取れていましたが、酒飲みの言い訳でしょうか、 5杯もおかわりしたワインが原因ではないと固く信じています。