高野山町石道ウォーク
第1回高野山町石道【慈尊院~上古沢駅】 (平成25年5月16日)
高野町石道は全長23kmのコースで、その名の通り1町(約109m)ごとに五輪卒塔婆が建てられています。
柿畑の急坂を上っていくと九度山町を一望できる展望台に出ます。
途中無人の販売所があり、試食用のみかんが美味しかったので100円を缶に入れて買い求めました。
柿畑が途切れるところから杉林の中を上って行き、六本杉峠で町石道から外れ丹生都比売神社を目指します。
車の通る道に出てしばらく歩くと朱塗りの太鼓橋が見えてきます。
何かのご縁かも知れませんが、ホームページのロゴにしている橋と同じ形です。
本殿にお参りして石のベンチでこの橋を眺めながらの昼食です。杉木立の向こうに日に照らされて輝く朱色が鮮やかです。
第2回高野山町石道【上古沢駅~大伽藍】 (平成25年11月4日)
子安地蔵尊を本尊とする神田地蔵堂は、紀伊高原GCのティーグラウンドのすぐ傍にあり、少し早目の昼食をここでとりました。
国道と交差する矢立茶屋では何組かのハイカーが休憩しています。隣に座っていたカップルは、九度山から山上までを一気に登る健脚で、
6時間程かけてここまで来たそうです。ここから大伽藍までは2時間少しの道のりですが、すぐ前を5人のパーティーが登って行きます。
その内の一人が熊よけの鈴をつけていますが、御詠歌を唄う時に鳴らすような鈴の響きが絶え間なく続き気になります。
少しペースを上げて追い越して行きましたが、後ろから「チリーン、チリーン」と物憂げな響きが聞こえてきます。
だいぶと離れて音が聞こえなくなると、今度は逆に、聞こえない音を聞こうとしていることに気がつきました。
四苦八苦の一つに嫌なものから離れられない苦しみ「怨憎会苦」がありますが、「チリーン、チリーン」を聞いて、
距離が近いから苦になるのであって、適当な距離を保てば苦にはならないことを悟りました。
第3回高野山町石道【大伽藍~奥之院】 (平成25年11月29日)
『高野山は、いうまでもなく平安初期に空海がひらいた。山上は、ふしぎなほどに平坦である。
そこに一個の都市でも展開しているかのように、堂塔、伽藍、子院などが棟をそびえさせ、ひさしを深くし、練塀をつらねている。
枝道に入ると、中世、別所とよばれて、非僧非俗のひとたちが集団で住んでいた幽邃な場所があり、寺よりもはるかに俗臭がすくない。
さらには林間に苔むした中世以来の墓地があり、もっとも奥まった場所である奥ノ院に、僧空海がいまも生けるひととして四時、勤仕されている。
その大道の出発点には、唐代の都城の門もこうであったかと思えるような大門がそびえているのである。
大門のむこうは、天である。山なみがひくくたたなづき、四季四時の虚空がひどく大きい。
大門からそのような虚空を眺めていると、この宗教都市がじつは現実のものではなく、空に架けた幻影ではないかとさえ思えてくる。
まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで、唯一ともいえる異域ではないか。』
駐車場に戻って遅い昼食をとり、高野山内の文化遺産が展示されている霊宝館を訪れてから高野・竜神スカイラインを通って
定宿の東急ハーベスト南紀田辺に向かいました。
今回で高野町石道のルートを終え、来春からは高野山から果無山脈を越えて熊野本宮大社を目指す全行程60kmの「熊野参詣道小辺路」を
4回に分けて歩き始めます。