熊野古道中辺路ルート 

 第1回熊野古道中辺路ルート【滝尻王子~近露王子】(平成23年6月18日)

 屋久島旅行で山歩きの楽しさを知り、いつかは行こうと思っていた熊野古道を歩き始めたのは平成23年の初夏の頃です。 近露に車を停めてバスで滝尻まで戻り、そこから最初の一歩を踏み出す予定でしたが、自宅を出るのが遅くなったため予定していたバスの時間に 間に合いませんでした。 次のバスまでは1時間あるため、車を道の駅「中辺路」に停め、途中から近露まで歩くことにしました。

 ここは亜熱帯気候に近いのでしょうか、初めての熊野古道でまず目にしたのは、屋久島で見たのと同じマムシグサです。 花がマムシの頭に似て、茎のまだら模様がマムシの胴に似るマムシグサはその名の通り実にも毒があります。 実を口に含むと舌を針でさされるような痛みが続くと聞いたことがあります。 途中牛馬童子像を見て少し下ったところにササユリが咲いていました。まむし草とは違いその姿は清楚で可憐、なおかついい香りがします。
 1時間遅れで近露からバスに乗り滝尻まで戻りました。熊野古道館を見学し、近くの店で食べ物を仕入れました。 その店の主は熊野古道ガイドの本に写真が載っている方で、初めての熊野古道ウォークと聞き、杖を用意して頂きました。 杖なんてと思っていましたが、急な上り下りを繰り返すうちにその心遣いを身にしみて感じるようになりました。 滝尻王子で昼食をとり、靴にポケットティッシュを詰めて歩き始めました。屋久島では足が痛くなったためこの方法をとったのですが、 最後の靴ひもをきつく結ばなければ楽に歩けることが後で分かりました。 滝尻王子からはいきなり急坂が始まります。胎内くぐりで岩の間の通り抜けを試みましたが、雨で泥だらけになりそうなのでやめました。 初夏の山歩きは暑くて虫が多く、あいにくの雨と汗に濡れ不快です。時期を選ばなかったことを後悔しつつ13kmの道のりを7時間ほどかけて歩きました。 車の置いてある道の駅「中辺路」に着くころにはあたりは既に暗くなりかけていました。 貸して頂いた杖に感謝して道の駅に返し、途中とれとれ市場で寿司を仕入れての東急ハーベスト「南紀田辺」へ向かいました。

 第2回熊野古道中辺路ルート【近露王子~小広王子】(平成24年3月9日)

 近露のドライブインで昼食をとり、近くの美術館の駐車場に車を停めて歩き始めました。 あいにくの雨ですが今回歩く距離はそう長くはありません。しかも舗装された林道がほとんどです。 継桜王子の秀衡桜は前の年の台風で大きな幹が折れていて痛々しそうです。 バス停の位置が分かりませんでしたので、小広王子付近で通りかかった車に聞いて、国道に向かいました。 バス停に着くと運よくすぐにバスが来て、車を停めた美術館まで戻りました。

 第3回熊野古道中辺路ルート【小広王子~伏拝王子】(平成24年3月31日)

 発心門王子に車を停めてバスに乗る予定でしたが、バスの出発時間ぎりぎりになったため、途中の道の駅に車を停めてバスを待つことにしました。 小広峠でバスを降り、前回に続く道を歩き始めます。前年の台風で熊野古道が寸断されたため、新しく整備されたう回路を歩きます。 途中がけ崩れの跡が生々しいところもあります。道端の水たまりにオタマジャクシが群れていましたが、干上がる前にかえるになるのか心配です。 発心門王子からバスに乗って車を停めた道の駅に行くつもりで道を急ぎ、途中からは林道を歩きましたがバスの時間には間に合いませんでした。 バス停の時刻表を見るとそのバスは平日のみの運行です。仕方なく道の駅近くの伏拝王子まで1時間ほど歩くきました。

 第4回熊野古道中辺路ルート【伏拝王子~赤木越・大日越】(平成24年4月30日)

 発心門王子9:38発のバスで伏拝王子まで行きそこから大日越、赤木越で発心門王子まで戻る予定でした。 バスが来たので発心門王子社にお参りしてから乗ろうとしたところ、すぐにバスが発車してしまいました。 手をふって追いかけたのですが気づかずに走り去ってしまいました。 仕方なく歩き始めましたが、途中でルートから外れて車の通るところを歩いていたところ、 通りかかった車から熊野古道から外れたところを歩いていると注意されました。 事情を話すと伏拝王子の近くまで車で送って頂けました。本宮大社にお参りした後、昼食は大きな鳥居のある大斎原のベンチでとりました。 大日越の登り始めは急な上りが続きます。 湯の峰温泉の坪湯の横を通り赤木越のルートに入り、赤木越分岐からは前回歩いた道を発心門王子まで歩きました。

 第5回熊野古道中辺路ルート【大雲取越】(平成24年11月1日~2日)

 春日台での開場記念杯のプレーを終えてから出発し、東急ハーベスト南紀田辺に宿泊しました。 翌朝、7時前に小口に着き、小口自然の家の駐車場に車を停め、駐車の許可を得るため事務所に向かいましたが、無人のため無断駐車となってしまいました。 その罰かも知れませんが桜の木の傍に停めた車のサイドミラーは、大量の鳥のふんで汚されてしまいました。 7時台の始発のバスにも時間的には間に合いましたが、気づかなかったため乗車できませんでした。 その時には1時間出発が早ければ暗い道を進まずに済むとは予想できませんでした。 小口のバス停で待っているおばさんの話では、小口の住民だが古道は歩いた経験はないとのことでした。 那智山頂の売店で蓬餅と日本酒、それに酒の肴のあさりを購入して、店のおばさんに大雲取越の入口を訪ねると 「これからですか?」の問いかけが、明るい内に着くのは無理だとのニュアンスがありました。 古道の入口からは石の階段が500m程続き、那智高原に出ます。初めての休憩でまだ温かい蓬餅を頂きます。うまい。 植林祭の際に作られたと思われる広大な公園の施設は一部朽ち果て閑散としています。 舟見峠までの道のりは4km程ですが、すごく長く感じられます。舟見峠で小口から登ってきた大阪のおばちゃんたちの集団と出会いました。 我々より3倍の距離を歩いてきているのに元気でにぎやかです。勝浦の町と熊野灘が一望できるここで昼食をとりました。 道端にリンドウに似た可憐な花が咲いていて、日のあたっている花を捜して写真を撮りました。 地蔵茶屋跡までは林道を歩き、轍に沿って水が流れています。ここの休憩所で2つ目の蓬餅を頂きましたが、腹がへっているので冷めていてもうまい。 石倉峠迄は急な登りが続くきます。峠に斉藤茂吉の歌碑がありましたが、峠越えのしんどさを読んだ歌に共感できます。 越前峠の登り口は谷川に沿ってなだらなため甘く見ましたが、険しさは石倉峠越えの比ではありません。 一句浮かびました。「谷川のせせらぎ絶えて山険し」。 越前峠からは800mの高さを一気に下ります。腹が痛くなるほどの急坂が続き、「胴切坂」の異名があります。 あたりがだんだん暗くなって来ますが、500mごとの道標を過ぎるのを励みに先を急ぎます。 残り2km程の所の休憩所で最後の短い休憩をとりましたが、明るい内に着くかどうか心配です。 重かったので、リュックに懐中電灯を入れてこなかったことが悔やまれます。 残り800m程にある「円座石」の説明が暗くて読めません。先を急ぎます。女房と声を掛け合って石畳を慎重に下ります。 白いカバーで覆った杉の苗木が卒塔波に見えます。舗装道路の明かりが見えるところに来てやっと安心できました。 最後は民家の横を犬にほえられながら通りぬけ、手摺を伝って道路に下りました。 6時少し前で日は既に落ちています。照明の明かりがこんなに安心できるものと感じられたのは初めてです。

 第6回熊野古道中辺路ルート【熊野川下り】(平成24年11月3日)

 速玉大社までは距離的には少し遠くなりますが海沿いのルートをとることにしました。 新宮の手前で高速道路を使って行われるハーフマラソンのための渋滞につかまり、バスに乗る時間ぎりぎりに到着しました。 日足のバス停で案内の方に迎えられ舟下りの事務所へ向かい、売店でおにぎりとお酒を買って朝食をとりました。 6人の乗舟客がそろってマイクロバスで4km程下流の船着場へ行き、菅笠とライフジャケットを付けて乗舟します。 語り部はホラ貝をふく女性の修験者です。至る所に台風の爪痕が見られます。2時間半ほどで権現河原に到着しました。 速玉大社の傍の店で新宮参詣曼陀羅の解説をボランティアの比丘尼から聞きました。 同舟していた女性2人を車に乗せ、神倉神社へ向かいます。ごとびき岩までの石段は急で、岩山をよじ登るようです。帰りは緩やかな女坂を下りました。 遅い昼食は途中の道の駅で名物のしらす丼を頂きました。5時間ほどかけて大台ケ原に近い道をとおり帰宅しました。

 第7回熊野古道中辺路ルート【小雲取越】

 小雲取越ルートの終点の駐車場に車を停め、熊野大社からタクシーで来る女房と合流し小口に向かいました。 大雲取越とは違ってなだらかなルートです。

 第8回熊野古道中辺路ルート【潮見峠越】(平成27年2月17日)

 熊野古道中辺路ルートで世界遺産に登録されているのは、すでに何回かに分けて歩いた滝尻王子から熊野本宮大社までの40km程の区間です。 中辺路の入口にあたる紀伊田辺から滝尻までの熊野古道は、生活道路となったところが多く、世界遺産には登録されていませんが二つのコースがあります。 平安時代から鎌倉時代にかけての参詣道は、上皇や貴族を中心に三栖王子社から八上王子社に至る岡越えの道を通っていました。 しかし、この富田川沿いの道は遠回りになるため、南北朝時代の頃より、長尾坂を通る『潮見峠越』がメインコースになりました。 梅の便りに誘われて今回歩くことにしたのはこの『潮見峠越』のコースです。
 紀伊田辺駅前の駐車場に車を止め、タクシーで長尾坂登り口へ向かいます。 タクシーの運転手が正確な場所を知らなかったため、何回かUターンを繰り返してやっと見つけた人に尋ね、 かなり戻った所で長尾坂登り口の小さな道標を見つけました。 急な上り坂を行くと、道端にポンカンがいっぱい落ちています。きれいなのを拾ってみると食べられそうです。 剥いてみると実が崩れるほど柔らかく口いっぱいに甘い独特の香りが広がります。
長尾坂を登り切ったところの水呑峠には茶屋跡があり、今も豊富な水が湧き出しています。 水呑峠から少し進んだ捻木峠には、高さ約20m、周囲約6mの『捻木の杉』と呼ばれている杉の大木があり、安珍清姫の伝説が伝えられています。 槙山の中腹に差し掛かった清姫は、かたわらの杉に登りはるか前方に逃げる安珍の姿を見つけ、口惜しさのあまり杉の枝を捻じ曲げてしまい、 枝はそのままねじれて育ち大木になったということです。この杉の木の傍にベンチがあり、ここで田辺湾を一望しながらワインとおにぎりの昼食です。 潮見峠から舗装道路の下り坂が続きますが、地図に杉林へ入る道が示されていたため、そちらのルートをとることにしました。 途中、朽ちかけた熊野古道の道標がありましたが、ロープを伝って降りる急な斜面もあり、正規のルートではないようです。 やっと渓流に沿ったなだらかな道に出ると、蜜蜂の巣箱が幾つも岩陰に置かれています。 中には巣の周りを盛んに蜂が飛び回っているものもあり、梅の花が満開になるこれからが稼ぎ時のようです。
 どうやら尾根の反対側の谷を下ったようで、「峰」と言う集落の厳島神社に出ました。 神社の前には「天空の里峰」と銘打たれた真新しい記念碑が建っています。 後で調べたところ、この神社は峰の景色に引かれて移住してきた方が寄付で整備された神社だそうです。 国道へ出るために農道を下って行くと、道端のあちこちに梟の置物が飾られています。この地区のマスコットのようです。 国道に出たところから滝尻の熊野古道館まではトンネルを通ってバス一区間の距離ですので歩くことにしました。 トンネルは、入口の方はライトが沢山ついて明るいのですが、奥に行くにしたがってまばらになります。 狭い歩道にはプラスティックのホイールの残骸が散乱しています。 懐中電灯を取り出し足元を照らしながら歩きますが、日常味わったことのない車の恐怖を感じました。 滝尻からバスで紀伊田辺駅へ戻り、東急ハーベスト南紀田辺に向かいました。 女房と二人に送られてきた誕生日券あり、今回の宿泊と食事は無料です。 いつもの「とれとれ市場」の寿司を持ち込み、浴衣でくつろいでの夕食と違い、ワンドリンクサービスの豪華な「梅懐石」が待っていました。

 第9回熊野古道中辺路ルート【紀伊田辺駅~稲葉根王子】(平成27年3月19日)

 中辺路の入口にあたる紀伊田辺から滝尻までの熊野古道は、生活道路となったところが多く、世界遺産には登録されていませんが二つのルートがあります。 前回、潮見峠越えのルートをとりましたので、今回は王子跡を訪ねながら富田川を目指す、比較的平坦なルートを歩くことにしました。
稲葉根王子近くのスーパーの駐車場に車を止め、バスで出発地点の紀伊田辺駅まで戻ります。 紀伊田辺駅から西に進み、会津川に架かる大師橋から下を覗くと、1m以上のカラフルな緋鯉が何匹も悠々と泳いでいます。 川で鯉が泳いでいる姿はよく見ますが、こんなに大きな鯉が泳いでいるのを見るのは初めてです。 橋を渡ると小ぶりながらも立派な仁王様がおられる高山寺の山門に出ます。 階段を上って行くと美しい多宝塔があり、広い境内には諸堂宇が立ち並んでいます。 本堂の傍に南方熊楠の墓の案内板を見つけ、何かのご縁だと思ってお参りすることにしました。 熊楠はこの寺の一角にあった日吉神社境内から数多くの隠花植物を採集しましたが、この神社の合祀と神木の伐採が、 熊楠の神社合祀反対運動のきっかけとなったそうです。
高山寺を出て石碑だけが残る秋津王子跡を訪ねた後は、左会津川に沿って進みます。川沿いには広大な梅畑が続きますが、花はすでに散った後です。 和歌山国体に合わせてすさみ町まで延伸されている阪和自動車道が川を跨ぐ高架橋の下で昼食をとりました。 鴨が泳ぎ、鷺が舞う美しい川面の風景が広がっていますが、職業柄頭上の橋が気になります。 桁高の高い2主桁の橋が梅畑の中を延々と続いています。無塗装橋梁でペンキが塗られていませんから錆び色をしています。 ただし道を跨ぐ所はさび汁が落ちるのを防ぐため、さびを安定化させる塗装が施されていて、その部分だけ色が変わっています。 床板は合成床板で水抜きのパイプが幾つも出ており、私が若い頃設計していた橋とはずいぶんと構造が違います。
 三栖王子から八神王子までの道は、古道の面影の残る自然道ですが少し荒れています。 途中に案内板があり、最初にその写真を見た時から不思議に思っていた南方熊楠の裸の写真と日記が記されていました。 あたりは梅畑になっていて撮影当時の面影はなく、もちろん、熊楠に寄り添っていた大きな木もありません。 山中裸像は神社合祀令による森林伐採に反対するための、パフォーマンスとして撮影されたといいます。 熊楠は明治43年1月28日、この峠の「松グミ生たる松の下」で「裸にて立ち喫煙するまま」の姿を撮影し、 その後、八上王子や岩田神社などを巡って森を調査したようです。
この時期葉も花もありませんが、大賀蓮畑のある田中神社からは、 王子谷を越える健脚向けのルートと国道311号の稲葉根トンネルを通る二つのルートがあります。 前回トンネルを通って怖い思いをしたため、前者のルートをとることにしました。 倒木を越え、倒れた竹の下を潜る荒れた道を降りてくると稲葉根王子に出ました。 一日の無事を感謝してお参りさせてもらった後にスーパーの駐車場に向かい 、一日車を止めさせてもらったお礼にビールと夕食のおかずを買って東急ハーベスト南紀田辺に向かいました。

 第10回熊野古道中辺路ルート【稲葉根王子~滝尻王子】(平成27年5月1日)

 女房と二人で熊野古道中辺路ルートを歩き始めたのは4年前の滝尻王子からです。以来何回かに分けてこのルートを歩いてきました。 今回、稲葉根王子から「富田川」に沿って遡り、滝尻王子へ向かうコースがこのルートの最後の区間になります。 現世の不浄を清めると考えられた「富田川」を、旅人は何度も歩いて渡りながら遡ったといわれ、それを証明するかのように、 このコースでは王子社が川の右岸、左岸と交互に現れます。
 いつものように朝早く家を出て、朝食をとるために立ち寄った岸和田サービスエリアでサービス券のついた中田食品のパンフレットを見つけ、 歩く前に行ってみることにしました。 田辺市郊外にある中田食品は、天皇陛下も工場見学をされたこともある、梅干・梅酒の製造販売会社です。 工場の一角にある直営売店は本格的な瓦葺の木造建築で、雨樋にもステンレスを使うなど、経費を惜しまずに建てられていることが伺えます。 いろいろな種類の梅干や梅酒を試食できるコーナーがあり、早速試食して幾種類かの梅干と熟成した梅酒を買い求めました。 そこから10分ほど車を走らせ、前回と同じ稲葉根王子近くのスーパーの駐車場に車を止め、少し下流の畑山橋に向かって歩き始めます。 この橋は潜水橋で川が増水すると沈んでしまいます。流水圧に耐えるため扁平な構造で高欄もないため、流れの早い川の上を渡る時はスリル満点です。 一ノ瀬王子までの区間は、曲がりくねった分岐の多い道を進み、途中道に迷いましたが、 別名「だるま寺」と呼ばれている興禅寺の大きな白いだるま座像の所で再び道標を見つけました。 お昼のチャイムが聞こえ、昼食をとる適当な場所とスーパーかコンビニを探しながら歩きます。 鮎川新橋の近くにスーパーを見つけて冷えたビールを買い求め、いつものように河原に下りて橋の下で昼食をとりました。
 再び歩き始めて訪ねた住吉神社には、和歌山県の天然記念物に指定されている招霊木(オガタマノキ)が社殿の後方の山に自生しており、 斜めに大きく傾いてそびえています。 それが今にも倒れそうで、倒れないようにカウンターウェイトにしているのでしょうか大きな石が積まれています。 藤原定家の歌碑のあるあたりから梅畑のあるあぜ道に入り、やがて川岸の断崖を通る細い道になります。 所々崩れた個所もあり、足を踏み外せば川に落ちそうです。 このあたりの川の水の色は白みがかった透明な青色で、カジカガエルの涼しげな鳴き声が聞こえてきます。 右岸に渡る北郡橋は木製の床板が並ぶ吊り橋で、轍の後がついている所を見ると軽自動車なら渡れるようです。 川面から30m程の高さにあり、眺めは良いのですが低い高欄に寄りかかると落ちそうな気がします。 そこからしばらく行くと清姫生誕の地といわれる真砂の里に出ます。 思いを寄せた僧の安珍に裏切られた少女の清姫が激怒のあまり蛇に変化し、道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺す伝説が有名です。 清姫はその名に似合わず、たいへん情熱的な人だったようです。
ここから滝尻までの途中に大規模ながけ崩れの起きた個所があり、道路の付け替え工事が行われています。 誘導員に仮歩道を親切に案内してもらい滝尻に着いた後、バスで車を止めたスーパーに戻りました。
 このコースは朝来街道と呼ばれる国道311号線と並行していますが、古くから開けたためでしょうか、変わった読みをする地名がいくつか出てきます。 朝来(あっそ)、真砂(まなご)、北郡(ほくそぎ)。地名から想像するだけでも平家物語の時代が身近に感じられるような気がします。