熊野古道大峯奥駈道ルート
第1回熊野古道大峯奥駈道ルート(平成28年5月10日)
大峯奥駈道は、奈良吉野山と熊野三山を結ぶ、もとは修験道の修行場として開かれた道です。
標高1200m~1900mの急峻な山岳が連なる大峯山脈の尾根を沿うようにして、約170kmの道が続きます。
平成16年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界文化遺産に登録されています。
これまでに熊野古道のうちの中辺路、大辺路、小辺路の3つのルートは、約20回に分けて4年かかって歩き終えました。
今年からは既に歩き始めている伊勢路と並行して、最後に残された難関の大峯奥駈道にトライすることにしました。
これまでのルートは車とバス、または車と鉄道を利用して一日で完結する日程でしたが、このルートでは最初と最後の区間を除いては、
既存の交通機関が利用できません。そのため、車で登山口まで行ってルート途中の山に登り、奥駈道の一部を歩くことにしました。
この方法では奥駈道のルートを点線で結ぶことになります。
4月の中頃千本桜の花見を兼ねて、大峯奥駈道の入口ともいえる吉野へ向かいました。
このルートには丁寧な案内のパンフレットがないため、ネットで調べた簡単な地図を基に日程をたてました。
それによると吉野の金峯山寺本堂の蔵王堂から女人結界の五番関まで5時間半かかりますので、
9時半に金峯山寺を出発すれば洞川温泉4時発のバスに乗れると計画していました。
吉野駅近くの駐車場に車を止め、ロープウェイに乗り、金峯山寺に向かいます。
一緒に乗り込んだ地元のおばさんの話によると、前の週までは花見客で一杯だったとのことですが、時期を少し過ぎたこの日の人出はまばらです。
蔵王堂は特別拝観期間中で、約7mの高さのある秘仏本尊蔵王権現三体を間近で見ることができました。
丁度目線が合うところでお参りできましたので、睨み付ける青い姿の仏像は迫力満点です。
拝観で時間をとりましたが、予定より少し遅れただけで蔵王堂を後にし、金峯神社へ向かいます。
道の両側にはたくさんの店が並んでいて、名物の葛餅などが売られています。
地酒を扱う酒屋もあり、一軒目は通り過ぎましたが、二軒目の試飲ができる店で捕まってしまい純米酒を一本仕入れました。
吉野山の桜は、下千本、中千本、上千本、奥千本と標高に応じて時期をずらせて開花しますが、既に奥千本の桜も満開が過ぎています。
奥千本口までバスで行って下って来る沢山の観光客にすれ違いますが、上って行く人と違い軽装です。
金峯神社を越えたあたりからは観光客も少なくなり、旧女人結界の碑を越え大峯奥駈道に入ると女房と二人だけです。
最初の通過点の四寸岩山は、標高が1,235mあり、蔵王堂から900mの標高差のあるきつい登りで、3時間程かかりました。
山頂でお昼にしましたが、予定より1時間ほど遅れており、途中で買ったお酒を飲む余裕などありません。
どうも不確かな情報で計画を立ててしまったようです。百丁茶屋跡まで来た時も遅れはそのままです。
ここから大天井ヶ岳へ向かう予定でしたが、標高は1,438mで300m程登らなければなりません。
体力的にもきつく、地図に吉野道と書かれている別ルートをとって遅れを取り戻すことにしました。
しかし、別ルートと思って歩いた道は林道で、距離が長く余計に時間がかかってしまいました。
バスの時間に間に合わないことが分かって歩く五番関の暗くて長いトンネルがいっそう気分を憂鬱にします。
結局1時間半ほど遅れてバス停に着いた時、最終のバスは出た後です。
タクシーを呼ぶか洞川で宿泊するしかありませんが、観光案内所でタクシー会社の電話番号を聞き、タクシーを呼びました。
運転手の話では奥駈道を途中リタイアした人からよく依頼があるそうです。
落後したわけではありませんが、ほろ苦い大峯奥駈のスタートになりました。
第1回大峰奥駈道【吉野~洞川】(令和元年5月18日)
紀伊半島を貫く神々の山稜、大峰山脈を走る縦走路は「奥駈道」と呼ばれ、役小角以来1300年の歴史を持つ山岳古道です。
最初にこのルートに女房とチャレンジしたのは3年前のことでした。
現存する日本最古の吉野ロープウェイに乗って吉野の街並みに入り、金峯山寺に参拝後、四寸岩山の急坂を上り下りし、
長い林道を歩いて洞川温泉に着いたのは、最終バスが出た後でした。
タクシーで1時間程かけて近鉄の下市口駅まで行き、車を止めた吉野駅に戻るほろ苦い経験でした。
大峰奥駈は、これまでの熊野古道ウォークと違って登山に近い縦走になることと、女人禁制の区間もあるため、
女房と一緒に行くことはあきらめ、大学の同級生でゴルフ仲間の友人を誘って3人で行くことになりました。
M君は若い頃シェルパを雇ってヒマラヤをトレッキングしたことのある山好きで。
I君は山登りの経験はありませんが、若い頃スキー部で鍛えた経験があります。
第1回目のルートは前回女房と歩いたルートです。
3人とも奈良に住んでいますので、王寺駅始発のJRの電車に乗り、吉野口で近鉄電車に乗り換え、吉野駅に向かいます。
朝早かったためロープウェイはまだ動いてなく、七曲り坂を通って上って行きます。
山の下の方の吉野の桜はもう散っていましたが、標高の高い所の桜は見頃です。
前回と同じ四寸岩山の頂上でお昼の休憩を取りましたが、食後はM君がアウトドア用のコンロでお湯を沸かし、
ウィスキーを垂らした紅茶をご馳走してくれました。
ここで秋田から来たという奥駈縦走中の50代のおじさんに会いしましたが、ワイシャツを着て大きなリュックを担いでいた姿に人物像が現れています。
二蔵宿小屋で再会した時、今日はこの小屋で泊まるとのことでした。
前回女房と来た時は林道の道を歩きましたが、今回はここから大天井ヶ岳へ向かいます。
標高は1438mで300m程のきつい登りが続きます。
歩く速さによりいつの間にか順番が決まっていて、M君を先頭にしんがりが私です。
前を登る2人のペースが早く、姿が見えなくなると1人で歩いている感覚になります。
無理して追い付こうとはせずにマイペースで上り切りました。
女人結界門のある五番関まで下りて来てから更にガレ場の道を登山口まで下り、舗装道路を1時間程歩いて洞川温泉の宿に着きました。
斜面に沿って建てた古い宿で、メインの通路は急な階段です。
温泉に浸かり夕食を頂き、疲れた体を十分に癒すことができましたが、山小屋にいる秋田のおじさんと比べるとなんとも贅沢な第1回目の奥駈縦走でした。
第2回大峰奥駈道【洞川~山上ヶ岳】
5月16日、第2回目の奥駈は車で洞川に向かう日帰りです。
清浄大橋の駐車場に車を止め、女人結界門をくぐって山上ヶ岳を目指します。
大峰山寺に参拝する古来より土着の山岳宗教が盛んなため、橋が架かっていたり階段があったりと道が歩きやすく整備されています。
陀羅尼介茶屋を抜けると、急な鎖場の油こぼしの上りに差し掛かり、鐘掛岩の岩上からは素晴らしい大観がひらけています。
さらに上ると西の覗に出ました。ここは捨身の行が行われる場所です。
そそり立つ絶壁から命を断つ覚悟で身をのり出し、仏の世界を覗く、煩悩があると出来ない修行です。
申し込めばこの行をできるらしいのですが、煩悩だらけの身なのでやめておきました。
林立する供養塔が続く道を歩いて大峰山寺に着いてお参りした後、目の前に稲村ヶ岳と大日山の特異な岩峰を見て、笹原での昼食です。
その後、尾根道をたどって阿弥陀ヶ森まで行く予定でしたが、体力的にきつくなって来たので小笹ノ宿まで行き私だけ引き返しました。
昨年の台風の影響で倒木が道を塞ぎ道は荒れています。
途中大木が倒れて道が深くえぐられたところで向こうからくる大きなリュックを担いだ中年の男性に出会いました。
倒木を挟んで話を伺うと奥駈道を縦走中とのことで、今日は先ほど引き返した小笹ノ宿に泊まるそうです。
大峰山寺で再び3人が合流し、帰りはレンゲ辻から下山するルートをとりました。
レンゲ辻までは急な鉄製の階段が続きます。その後のレンゲ坂谷の道は石がゴロゴロした急なガレ場の下り坂が続きます。
女人禁制で同行できないため代わりに持ってきた女房のポールを左に持ち、自分のポールを右に持ち体重を乗せてから一歩ずつ下って行きますが、
途中で左の膝を痛めてしまいました。最後はびっこを引くようにしてやっとの思いで駐車場までたどり着くことができました。
車で村営の洞川温泉へ行き、駐車場近くの土産物屋でビールと土産用のゴマ豆腐を頼みました。
親切な店の主人はお皿と醤油それにわさびまで出して準備してくれました。
私が、たっぷりとわさびを付けると「付け過ぎだ」と注意されました。
身近にもいる、親切ですが思ったことをすぐ口に出すタイプのおやじのようです。
疲れた体につめたいビールは一番のご馳走でした。
我々の奥駈縦走は何回かに分けてまわる、修行と行楽を兼ねた旅です。冷たいビールと温泉は絶対に欠かせないことで3人の意見が合いました。
第3回大峰奥駈道【行者還トンネル西口~八経ヶ岳(往復)】(令和元年7月1日)
大峰山脈の主峰八経ヶ岳(標高1,915 m)は、近畿の最高峰で日本百名山のひとつに数えられています。
付近はトウヒ、シラビソの原生林につつまれ、7月初旬には天然記念物のオオヤマレンゲが咲きみだれ、大峰山系の自然美を満喫することができます。
第3回大峰奥駈はこのオオヤマレンゲを見るため6月末に予定していましたが、梅雨前線が停滞していてずっと雨の予報です。
しかも熱帯低気圧から発達した台風が太平洋側を進むため、好天は望めそうもありません。
延期するもの思っていましたが、前日の朝にM君から台風が通過して天候が回復するので決行するとのメールが入って来ました。
雨が止んだ当日の朝5時に家を出て途中でI君を拾い、M君の車で天川村に向かいます。
天川村川合からは、みたらい溪谷へ向かう狭い林道に入ります。
NHKの番組「心旅」でみたらい渓谷の哀伝橋の思い出が放送されていましたが、その時一行が立ち寄った店の前を通り、
すれ違いのできない細い林道を進み、行者還トンネル西口の駐車場に着きました。
行者還とは奇妙な名前ですが、大峰山の開祖といわれる役ノ行者が、あまりの峻険さに登ることを断念して引き返した山名の行者還岳に由来します。
急傾斜の弥山登山道を登って行くと周りにシャクナゲが群生しています。
花の咲くころはさぞ綺麗だろうと想像しながら1時間ほど登って奥駈道出会の尾根道に着きました。
そこから小さな上下を繰り返して道は弁天の森へ続きます。優しい名前の通りブナの原生林の中を緩やかに伝っていきます。
途中可愛いつり鐘形の淡いピンク花をつけた木を見つけ、M君が写真に撮って調べたところ、サラサドウダン(別名;フウリンツツジ)でした。
理源大師像の祀られた聖宝ノ宿跡からは聖宝八丁と呼ばれる弥山への急登が始まります。
さらに整備された木道を登りシラビソの森を進むと、道の周りはこれから花芽を伸ばすバイケイソウが群生しています。
バイケイソウは高さ1メートルにもなるユリ科の多年草で新芽も葉も茎も根もすべて毒性の強いアルカロイドを含む植物です。
弥山山頂は小屋前の鳥居から200mほど登ったところにあり、天河弁財天の奥宮が祀られています。
前日の台風で倒されたらしい宮前の錫杖を建て直し、お参りして八経ヶ岳に向かいます。
いよいよ森の貴婦人と呼ばれるオオヤマレンゲに会える時が近づいてきます。
弥山小屋の前からブナの林を抜け下って行くと、鹿よけのフェンスが現れます。
扉を開けてオオヤマレンゲ保護区に入ると、目の高さにオオヤマレンゲの蕾がたくさん見つけられます。
もうすぐ咲きそうなほどに白く色づいた蕾が膨らんでいますが、咲いている花は一輪もありませんでした。
貴婦人には縁が無いようです。
保護区を後にして緩やかに登って八経ヶ岳のピークへ向かい、立ち枯れたトウヒが霧の中に佇む幻想的な山頂に着きました。
天気が良ければ大展望ですが、何も見ることができませんでした。
弥山小屋まで戻って昼食をとり、もと来た道を引き返します。
下山にどれだけの体力が必要かはわかっていましたが、下りは体力よりも膝の強さが要求されます。
奥駈出会まで来ると左足を曲げると痛むようになってきました。
仕方なく左ひざを曲げないように、左足をおろした同じ高さに右足をおろす歩き方で急坂を下って行きます。
皆より少し遅れて行者還西口の駐車場に着き、そこから天の川温泉へ向かいました。
途中酒屋の自販機でビールを買い、温泉に入る前に休憩室で喉を潤しました。
風呂上りが美味しいのですが、運転しなければならないので登山の後はこの飲み方にしています。
ゆっくりと温泉に浸かって汗を流し、貴婦人とは出会えなかった春の奥駈が終わりました。
第4回大峰奥駈道【大普賢岳周回】(令和元年10月16日)
大普賢岳は、奈良県の大峰山脈を形成する山の一つで、大峰奥駈道上にあります。
前回、オオヤマレンゲの開花時期に合わせるため、ルートの一つ先にある八経ヶ岳に先に登り、
再開した秋の奥駆はこの大普賢岳周回コースから始めることになりました。
10月の記録的な暑さが治まり、少し秋の気配が感じられるようになった当日の朝5時に家を出てI君を拾い、M君の車で和佐又山キャンプ場に向かいます。
途中花吉野C.Cに近いコンビニでおにぎりやおやつを仕入れ、朝ご飯を食べてからの出発です。
支払いは初めてのスマホ決済です。
川上村からは、梶賀へ行く時に通い慣れた国道169号線に入ります。
いつもは運転席から見る景色ですが、視点の変わる助手席からは深い谷を流れる吉野川が見え、周りの景色もゆっくりと眺められるゆとりがあります。
標高を上げていくと、山の景色に溶け込んだ巨大なループ橋の姿が飛び込んできました。
新伯母峯トンネルを越えてすぐに右折すると、何回かアマゴ釣りで来た川の傍に建つ小屋があり、人の良い管理人のことが思い出されます。
ヘアピンカーブの続く山道を登っていくと和佐又山キャンプ場に着きました。
土曜日ということもあって駐車場にはすでに20台ほどの車が止まっています。
ロッジで入山届に記入して、コテージやオートキャンプ場に続く道を歩き始めます。
キャンプ場の車止めを越え、日本遺産の石碑のある所から登山道が始まります。
植生はブナやナラなどが主体で、屋久島で名前を覚えたヒメシャラも多く見られ、杉林の人工林を歩くのとは雰囲気が違います。
古来、修験道の山として山伏の修行の場であったため、シタンノ窟、朝日窟、笙ノ窟、といった修験道の行場跡が見られます。
笙ノ窟は、大普賢岳と和佐又山の中程にある日本岳の南岩壁に開口する自然岩窟で、巨大な岩肌からは絶えず水が滴り落ちています。
平安時代以来多くの修行者の参籠修行が行われた場所で、この窟での雪中参籠は峯中随一の荒行とされています。
日本岳の鞍部からはハシゴや鎖が連続するので細心の注意を払って登っていきます。
途中にある石の鼻からは広大な展望が開け、南から北東方面が一望でき、大台ケ原、弥山、釈迦ヶ岳が見渡せます。
小普賢岳はピークを踏まずに巻くつもりでしたが、案内の標識が落ちていたため間違って登ってしまい、山頂で迷うことになりました。
登ってきた道を少し引き返して大普賢岳を目指します。
大峰奥駈道と合流した場所で休憩をとり山頂を目指しましたが、
山頂まであと十数メートルのところで先達を務めてくれているM君が異変をきたし動けなくなってしまいました。
少し休めば回復すると言うので、彼を置いて山頂へ向かいました。
10人ほどしか立てない狭い山頂ですが、快晴で360度の視界が開けています。
尖った槍のような山容に特徴のある大日山を始め、これまでに登った山々が奥駈のルート上に連なっています。
30分ほどたってもM君が登ってこないので引き返してみると、足の痙攣が全身に回りしびれているとのことです。
どうやら日頃の不摂生と前日の寝不足で熱射病になったようです。
周回ルートでの下山はあきらめ、昼食を山頂でとってもと来た道を引き返さざるを得ません。
最悪の場合、M君に肩を貸して下山しなければなりませんが、梯子や鎖場を降りるのは無理なようです。
仕方がないのでM君が回復するまで2時間ほど待ってから下山しました。
駐車場まで戻るとだいぶ回復した様子でしたが、運転は私が代わり入之波温泉へ向かいました。
いつものように入浴前にビールでのどを潤し、ぬるめの温泉にゆっくり使って疲れをとってから家路につき、
予期していないトラブルのあった4回目の奥駈が終わりました。
第5回大峰奥駈道【釈迦ヶ岳】(令和元年11月2日)
役行者には「前鬼」と、「後鬼」という弟子夫婦がおりました。
この夫婦はもともと生駒山の暗峠で人の子をさらって食べる鬼でしたが、役行者が夫婦の子供を隠して二匹の鬼をおびき出し説教。
「悔い改めるならば人間に変えてやる」と言われ、それに従った二匹の鬼は人間の姿に変わって役行者の従者となりました。
この夫婦と5人の子供たちが住んだのが、「前鬼」という集落です。
明治の半ばまで彼らの子孫による五つの宿坊がありましたが、今は61代目当主である五鬼助さんが「小仲坊」を守っています。
第5回の奥駆は、この「前鬼」から標高1799mの「釈迦ヶ岳」まで登るコースで、標高差1000m、休憩無しで片道5時間の健脚向きです。
朝5時前に家を出てI君を拾い、前鬼口でM君の車と合流し、前鬼林道の車止めゲート前に車を止めました。
舗装路を道なりに登っていくと30分ほどで前鬼集落跡、 小仲坊が見えてきました。
登山道は、石積みの宿坊跡の脇を通り、苔むした杉の巨木の間を通るところから始まります。
最初はなだらかな登山道ですが、栃の巨木が生い茂る原生の森に入ると木の階段が現れました。
2本の太い丸太が鉄筋で地面に固定され、その丸太に半円形断面の階段がボルトで固定されている頑丈な梯子状の階段で、黄色のペンキで853段と書かれています。
この巨大な階段を作った人々の労力に感心すると同時に、登りの険しさが想像されます。
階段、硬くて太い木の根、それにゴツゴツした岩が交互に現れる登山道を1時間ほど登ったところで、不覚にも足を取られて前のめりに倒れ、
右足の脛を思いっきり岩に打ち付けてしまいました。
激痛が走りしばらく歩けませんでしたが、幸いその後の登山に支障はありませんでした。
さらにいくつもの涸れ沢を越えてしばらく行くと、道の脇に高さ8mはあるかと思われる2体の巨岩「二つ岩」が現れました。
観光地ならば夫婦岩と名付けられていたかも知れませんが、信仰の地では不動明王の眷属とされています。
やがて、奥駈道と合流する「太古の辻」に到達し、風のよけられるところで好物の豆大福をいただきしばし休憩です。
真正面にそびえる「大日岳」を巻く道を通り、避難小屋と「灌頂堂(かんじょうどう)」がたたずむ「深仙の宿(じんせんのしゅく)」に着きました。
M君に前回と同じようなしびれの症状が出たので、ここから「釈迦ヶ岳」へはI君と二人で登りました。
標高差300mほど登り「釈迦ヶ岳」山頂へとたどり着くと、大きな 釈迦如来像が出迎えてくれました。
ガスのため山頂からは何も見えず、写真だけをとって急いで元来た道を引き返します。
熊笹が腰の高さまで茂る幅50cmほどの道で足元が見えません。
急な下りに差し掛かったところで木の根に足を取られ、この日2回目の転倒です。
今回はふくろはぎを思いっきり引っ張られる格好になり、しばらく痛みがとれず歩けるか心配でしたが、大事に至らず深仙の宿まで戻ってきました。
ここで昼食をとりしばらく休憩しての下山ですが、残された体力と滑りやすい階段のことを思うと憂鬱になります。
下りの階段は思ったよりも楽でしたが、階段を降り切ったころには疲れて足が上がらなくなってきています。
ここでM君が涸れ沢で足を滑らせ5mほど滑落してしまいました。
幸い大事には至りませんでしたが本人は死ぬかと思ったそうです。
あたりが暗くなりかけたころに駐車場までたどり着き、街灯もない真っ暗な曲がりくねった林道を前鬼口まで降りてきて私の車は尾鷲へ、
I君を載せたM君の車は奈良へ向かいました。
途中、「きなりの湯」に浸かり疲れをとりましたが、右足の脛はパンパンに腫れあがっていました。
梶賀に着いていつものように煩悩の数ほどの階段を上ってかじか荘に向かいましたが、853段と比べると楽な階段です。
みんな無事に帰れてよかったと安堵した第5回の奥駈が終わりました。