京都一周トレイル【北山東部コースその2】(令和3年5月5日)
鞍馬寺は古くは天台宗の寺院でしたが、昭和期になって毘沙門天・千手観音・護法魔王尊の三尊を祀る鞍馬弘教総本山となったそうです。
毘沙門天は太陽の精霊、千手観音は月輪の精霊、護法魔王尊は大地の精霊とされ、この三身を一体として「尊天」と称する独特の信仰形態をとっています。
牛若丸や天狗伝説が残る鞍馬寺は、法師が太い青竹を刀で伐る迫力満点の儀式や、鞍馬の火祭などの奇祭でも知られています。
今回の京都トレイルで歩く区間は、比叡山と鞍馬寺を結ぶ平安朝に開かれた道です。
午後から雨の予報のため早い時間に家を出ようと思っていましたが、午前中から曇り空で、風も強く吹いています。
昨年の秋、比叡山を縦走するコースの終盤、急勾配の下り坂で両足の親指の爪を痛めたこともあり、家内は気乗りしない様子です。
せっかく準備したのだから行くことにしましたが、気まずいムードのままの出発になりました。
あらかじめ調べておいた叡山電鉄宝ヶ池駅近くの駐車場に車を止めようとしたところ閉鎖されていたため、近くのホームセンターの駐車場に止めました。
バス停横のコンビニで昼食を仕入れ、コーヒーを飲んで30分に1本の大原行のバスを待ちます。
予報より早く雨が降り出し、乗車したバスはワイパーを動かしながら走っていましたが、戸寺のバス停に着いた時には一時的に雨は上がっていました。
京都市街から北に外れた場所で、少し季節が遅いのか満開のフジが山の所々を紫に染めています。
バス停近くの標識から坂を下り、高野川の橋を渡って右岸を進み、江文神社へ向かいます。
大原と静原を結ぶ江文バイパスを横切り、神社の参道を山手へ向かい、小川を渡れば江文峠への旧道です。
峠で道路を南へ横断し、谷筋の杉林を下りバイパス道路に出ると静原の里です。
しばらく歩道を歩き小学校の前で右手に折れると、周りの田圃は田植えの真っ最中です。
行く手をゆっくりと走る田植え機を追い越して紅殻の民家が目立つ集落を進むと、静原神社の前に出ました。
イチョウやカエデの緑が鮮やかな神社横の公園は、きれいなトイレもある休憩場所ですが雨が降り出したため、昼食は拝殿前の舞台でとりました。
昼からは右手にストック、左手に傘をさしての山歩きです。
薬王坂の登り口からはコンクリート舗装された急坂が続きます。
10%以上の勾配がある坂でコンクリート舗装には滑り止めの溝が刻んであります。
山道に変わると倒れた大きな古木の下に南北朝時代の弥陀二尊板碑があり、ほどなく峠の頂上にたどり着きました。
山の神の祠を見送ってしばらく下ると鞍馬の里です。
鞍馬街道を左折し、鞍馬駅に向かう途中の山側に、鞍馬寺の仁王門が堂々たる佇まいを見せています。
山門を潜ると清少納言が枕草子で「近くても遠きもの」と記したつづら折りの参道が約1kmつづきますが、体力もあまり残っていなかったので、ケーブルカーに乗りました。
「すべての生命を生かし存在させる宇宙エネルギー」である「尊天」の説明が車内に流れますが、新興宗教の教義を聞かされているようです。
ケーブルカーを降りてから更に160段ほどの階段を上った本殿前からは新緑の比叡山が一望できます。
参拝を済ませ、下りのケーブルカーを待っている時に鞍馬からの電車の時刻をスマホで調べようとしたところバスの時刻表しか表示されません。
鞍馬駅に着いた時にその理由が分かりました。駅の入り口が閉まっていて、「土砂崩れのため不通」の張り紙がありました。
折り返し運転をしている市原駅までバスで移動してから宝ヶ池に戻り、約束の時間よりすこし遅れて孫たちが待つ東急ハーベスト京都鷹峯に向かいました。
京都一周トレイル【北山東部コースその1】(令和2年10月5日)
先日の土曜日、いつもの様に朝食を済ませてカーナビに設定した目的地は京都大原記念病院です。
近くに車を止め、土井志ば漬け本舗本社工場近くの花尻橋のバス停から八瀬へ向かいました。
八瀬で叡山ケーブに乗り換え、「ケーブル比叡」駅から北山東部コースのスタートです。
駅前の標識「北山No.1」からしばらくの間は車道を登り、比叡山人工スキー場跡から車道を離れ、ゲレンデの左端に沿って山道に入ります。
しばらく進むと、大原盆地や琵琶湖を望むことができる休憩場所があり、何人かのハイカーがここで昼食をとっていました。
奥比叡ドライブウェイに架かる橋を渡り広い石段を降りると、伝教大師最澄の御廟がある浄土院で、比叡山では最も清浄な聖域です。
お参りするために門を潜り建物の正面に向かうと、「照千一隅」と書かれた札が掲げられています。
平安時代に天台宗を開いた最澄の「照一隅」(一隅を照らす者、これ、国の宝なり)という言葉は有名ですが、「千」の文字が入っています。
実はこの言葉を知っていたので、早速家内に蘊蓄を披露しました。
中国の戦国時代の斉の威王が、隣国の魏の王の「自分は宝として直径一寸の玉(宝石)を10個持っていて、この玉で24台の車(馬車)の前後が照らせる」という自慢話を聞き、
「私はそのような玉は持っていないが優れた武将を持っている。彼らは国の一隅を守り、敵を寄せ付けず、国内の治安もうまくいっており、彼らは千里(国全体)の広い範囲を照らしている。
この人材こそが私の宝だ」と言った故事に基づいています。
従って「照千一隅」は「一隅を照らす」と同じ意とされていますが、実際は「一隅を守るは千里を照らすなり」という意味で、すべての人がそれぞれの分野で全力を尽くして生きて行くことが、結局は国全体を照らすことになるという教えです。
浄土院前を左に折れ、西塔の堂舎域には入らず、標識「No.8」で石段を右に降ります。
杉木立の中で薄紫色の花をつけたミカエリソウが群生するしっとりとした道を通り、再び広い参道に合流すると、園城寺の金堂を移築した釈迦堂(転法輪堂)が目の前に現れます。
ここのベンチに腰を下ろして昼食をとりました。
コースは、釈迦堂右の参道を居士林道場・食堂跡へ登り、ドライブウェイの下をトンネルで潜ると回峰行の道に入ります。
これまでの荒れた山道と違い鉄パイプや枕木で整備され、踏み固められた土の道が光っています。
尾根筋の峰道は上り下りを繰り返し、視界が開けると「玉体杉」です。
展望の良い絶好の休憩場所で、傍の蓮台石に腰をかけ回峯行者はここで御所を拝します。
北へ降りた峠が「峰辻」で、そこから尾根の急坂を喘ぎながら登ると横高山の山頂です。
緩い尾根を鞍部まで下り、再び急坂を登れば京都一周トレイルの最高地点の水井山(793.9m)に着きます。
仰木峠までは急坂を交えた下りがつづき途中何人かと出会いましたが、中にはグレートトラバースの田中さんの様に派手な色のサポーターテープを膝に貼り、駆け足で登って来る集団もいました。
もうすぐ暗くなるのでヘッドライトで足元を照らしながら、まだ30km以上ある東山まで行くそうです。
仰木峠は、大津市仰木と大原を結ぶ古くからの道で、牛若丸が鞍馬から金売り吉次に伴われて奥州に下ったとの説が伝わっています。
峠の標識から10分ほど下ると峠道と分岐し、トレイルコースは「ボーイスカウト道」と呼ばれる植林の中の急坂を下ります。
太ももの前面が筋肉痛で足を上げる度に痛みを感じるようになり、つま先に体重がかかるため、足の爪も痛くなってきます。
谷筋の林道を下り戸寺の集落に入り、4時間以上歩いて車を止めた場所に戻って来ました。
夕方、東急ハーベスト京都鷹峯で孫たちと合流し、いつもの様にテイクアウトしたお寿司や総菜などを持ち込んでの夕食です。
翌日は山科から妹一族も加わり、大津の実家で92歳と95歳になる両親の誕生祝いです。
親子4代の一族が一堂に会する賑やかなパーティーになりました。
京都一周トレイル【東山コースその3】(令和2年6月5日)
バプティスト派はプロテスタント最大の教派で、自覚的な信仰告白にもとづき、全身を水にひたす浸礼によるバプティズム(洗礼)を主張するところからこの名称があります。
日本バプティスト病院はこの教派が京都北白川の地に設立した病院で、神社仏閣とキリスト教関連施設が隣り合う不思議な空間の地にあります。
前回と同じ御蔭通の駐車場に車を止め、東に進んで白川通りを横切り、北側歩道にある標識「No.54」を左折すると、日本バプティスト病院への道です。
京都トレイル東山コース最後の区間はこのバプティスト病院の横の道を通るところから始まります。
病院の駐車場を抜け、横の小さな川沿いの道を上がっていくと大山祇神社参道に出ます。
境内を通り抜けると再び谷筋に出て大山祇神社の裏から尾根に取付きます。
「白幽子(はくゆうし)旧跡」へ寄ったのち、清沢口石切丁場跡に出て瓜生山へ向かいます。
白幽子は、江戸時代前期から中期にかけての隠士・書家で、禅病で苦しんでいた白隠禅師に「内観の法」を伝えた人物として知られています。
数百年を生きた仙人という伝説が生じ、里人から白幽子仙人と称されています。
白川石の大岩の下に石碑があり、仙人の住処らしい雰囲気に包まれていました。
さらに登って行くと北側の山中にある狸谷不動からの三十六童子巡礼道と合流し、ここから童子像が瓜生山頂上まで点在します。
登り詰めると瓜生山(301m)、東山三十六峰の一峰です。
汗をぬぐうため、山頂の社の前で休憩していると何人かの登山客に出会いました。
山歩き用の服装をしてこなかった私とは違い、ほとんどの人は夏用の涼しげな登山用の服装です。
標識「No.66」から平坦な林道を進むと、左右違う角度で柱が傾いた石の鳥居がある明るい広場に出ました。
ここでしばらく休憩して次に進もうとした時、山の上の方から大きな音がしてマウンテンバイクに乗った人が降りて来ました。
トレイルの途中で自転車を押した中年のライダーにも出会いましたが、マウンテンバイクの走るコースにもなっているようです。
左の急坂を下って音羽川を渡り、さらに二本の小さな沢を渡ると、雲母坂(キララ坂)に合流します。
「水飲対陣之跡」碑があり、北西側の赤山から登ってくるのは比叡山千日回峯行の道です。
少し登ると木立の中に格好の休憩場所があり、西縁に立てば北山から一乗寺方面を一望できます。
標識「No.73-1」でコースは分かれますが、どちらも「ケーブル比叡」駅に出ます。
植林の中を進む右のルートを選びましたが、谷側の杉の木は広範囲にわたって倒れています。
木は全て山側に倒れており、切り出した様子もないので台風による倒木と思われます。
無線中継所の下に出ると、地図で「比叡ビュースポット」と書かれた好展望が待っています。
そこから叡山ケーブルの駅はすぐです。駅前の広場に幾つかベンチが配置されていて、何人かの登山客が昼食をとっています。
眼下に八瀬を見下ろせる楓の木の下のベンチに腰を下ろし、駐車場近くのコンビニで買ってきた昼食をとりました。
しばらくするとカップルが隣のベンチに腰を掛け、同じ様に昼食をとり始めました。
日本人の様な風貌ですが、会話はネイティブの様なきれいな発音の英語です。
途中京都の歴史が話題になった時だけなぜか日本語に切り替わりました。
昼食後ケーブルに乗り八瀬まで下り、叡山電鉄に乗り換え駐車場近くの元田中まで戻り、その後鷹峯に向かいました。
この日は年に何度か東急ハーベスト京都鷹峯で開催する一族の懇親会です。
テイクアウトしたお寿司や中華料理などすべて持ち込みの宴会ですが、親子4代の一族が一堂に会する賑やかな宴会になりました。
京都一周トレイル【東山コースその2】(令和2年4月19日)
4月の初め、孫たちと宿泊する予定だった博多のおばあちゃんが来られなくなり、私と家内が代わりに有馬へ行ってきました。
丁度チェックインの時間にロビーで合流でき、ホテル裏口のすぐ傍にある炭酸泉源公園から散策の開始です。
公園の奥には神社のような建物があり、中央にある丸い石の井戸から炭酸泉が湧き出ていますが、低温泉のため覗き込んでも熱くありません。
有馬土産として有名な炭酸煎餅はこの炭酸泉を利用して明治の終わり頃からつくりはじめられたそうです。
公園から坂道を下って行くと、飲食店や土産物を売る店が細い道路の両側に並んでいますが、観光客はまばらで外国語は全く聞こえて来ません。
太閤橋の所まで来るといつも水遊びする親水公園が工事のため入れなくなっていたので、有馬川沿いの桜並木の道を下って行きました。
花をいっぱいつけた低い枝を孫たちの手が届くところまで引き寄せてやると、花をちぎって飛ばすのが楽しいようです。
帰り道は孫娘に抱っこをせがまれましたが、抱いて坂道を上がるのは腕と腰にかなりの負担がかかります。
ウエストポーチ型の抱っこベルトを腰に巻き、その上に孫娘を載せてホテルに帰ってきました。
有馬の金泉にゆっくりと浸かった後、にぎり長次郎の25%引きのお寿司とスーパーで買った惣菜でいつものにぎやかなホームパーティーが始まりました。
翌朝孫たちと別れ、家内と二人で京都トレイル東山コースを歩くため、京都に向かいました。
出町柳駅近くに車を止め電車で蹴上へ向かう予定ですが、前回一日最大2,000円の駐車場に車を止めたのがトラウマになって、なかなか適当な駐車場が見つかりません。
同じ道を何回か回ってようやく一日最大800円の小さな駐車場を見つけ車を止めました。
出町柳駅まで歩き、駅近くのコンビニでお昼のおにぎりとサンドイッチを買って京阪電車に乗り、途中三条で乗り換え、蹴上で下車しました。
駅から少し階段を上ったインクラインの上端にある公園からは平安神宮の朱塗りの鳥居が見えます。
公園には小学校の授業で習った琵琶湖疎水の立役者である田辺朔朗博士の銅像が立っています。
近くのベンチに腰を下ろして昼食を済ませてから、トレイルのスタートです。
橋を渡って最初に向かうのは「京のお伊勢さん」として知られる日向大神宮です。
内宮本殿にお参りして左手から薄紫の鮮やかな山つつじに囲まれたコースに入ると、直ぐに「天の岩戸」が現れます。
延長10m程の岩穴を潜り抜け、幾つもの道が合流する「思案ケ辻」に出ると、そこからは大文字山への登りになります。
「四つ辻」を直進して急坂を登れば大文字山の山頂に向かえますが、いつもはすぐ後ろを歩く家内が遅れがちです。
体調がよくないようなので山頂には向かわず談合谷を下ることにしました。
荒れた沢筋を下って行くと「俊寛僧都忠誠の石碑」が立ち、その下に小さな落差を何段にも組み合わせた楼門の滝が現れました。
急な坂道に建ち並ぶ鹿ケ谷の住宅地を西に下ると霊鑑寺の門前です。門跡寺院で、後水尾天皇の皇女を開基とし創建され、「谷御所」と呼ばれているそうです。
コースは右折し疎水に沿った「哲学の道」は、桜が満開で白川通りまで観光客が多く行きかう賑やかな道です。
北白川天神宮の前を通り、バプティスト教会の先に建つ標識54で今回のトレイルを終えました。
教会関係の建物が並ぶ御蔭通をそのまま西に進むと駐車場に着きました。
来た時には気が付かなかったのですが駐車場のすぐ傍にコンビニが有り、トイレを借りコーヒーを買って一息ついてから家に向かいました。
京都一周トレイル【東山コースその1】(令和2年3月2日)
テレビ番組で紹介されていた満開のしだれ梅を見るため、城南宮の神苑を訪れたのは小雨の降る土曜日のことです。
すでに梅の花は散り始めていましたが、花びらの絨毯の中を進んで行くと、特徴のある小川が流れている平安の庭に出ました。
王朝の雅を偲ばせる「曲水の宴」が行われる苔の庭が広がっていました。
雨が激しくなってきたタイミングで城南宮を後にして、その日宿泊する東急ハーベスト京都鷹峯に向かいました。
大阪から長男家族が合流し、山科からは妹家族が中華料理をテイクアウトして加わります。
年に何回かここで催す4世代揃っての宴ですが、父の入院と重なったため大津の年老いた両親は不参加でした。
翌日、長男家族とは鷹峯で別れ、2回目の京都一周トレイルのため家内と二人で蹴上に向かいました。
目的地の蹴上近くに車を止めるつもりでしたが、駐車料金の安い所を探して京阪三条駅近くのパーキングまで来てしまいました。
京阪電車で伏見稲荷駅に着くと、両側に神具や土産物を商う店が並び、新型コロナ流向前に来たときほどではありませんが、かなりの外国人観光客で賑わっています。
拝殿にお参りし、本殿の北側にある石段を登り、右手に進むと鳥居は上りと下りの二筋に分かれています。
鳥居をくぐって緩い石段を上り三叉路に出ると、ここから上の「四つ辻」まで、400段の石段がつづきます。
「四つ辻」は展望が開けた絶好の休憩場所ですが、観光客でごった返しています。
トレイルコースはここから鳥居のあるコースから外れ、舗装された坂道を下って行きます。
住宅地まで下ると前を進んでいた母娘と思われる二人が引き返して来てすれ違い、右手の地道を降りて行きました。
一言声をかけてくれればよかったのに、気が付かなければ同じように道を間違えるところでした。
標識に注意して進み、フェンスに挟まれた坂を登ると御陵が現れ、月輪山の麓に泉涌寺の境内が広がります。
観音堂に安置される「楊貴妃観音」を拝観するため受付に行くと、非公開文化財特別公開中で拝観料は1,000円です。
トレイルの途中でもあるので楊貴妃観音だけ拝観できないかと家内が交渉したところ無料で入れて頂けました。
明治維新で活躍した公家を祀った神社では、「いけず」な禰宜に会って嫌な思いをしましたが、さすが皇室の菩提所の関係者は違います。
美しい面立ちから楊貴妃観音と呼ばれる坐像を目前に拝むことができました。
枝垂れ桜の枝を受ける棚が、橋の上にしつらえられている円通寺橋を渡り、住宅街の坂道を登っていくと、賑やかな3人組のおばさんが狭い道幅一杯に広がっておしゃべりしながら歩いています。
歩きにくいので追い抜きましたが、おしゃべりに夢中で挨拶はありませんでした。
この後も別の二人連れのおばさんに追い抜かれましたが、やはりおしゃべりに夢中で挨拶はありませんでした。
おしゃべり好きなおばさんは挨拶が苦手なのかも知れません。
再び山道に戻ると、前日の雨で道はぬかるんでいて気を付けないと滑ります。
また、下ばかり見ていると倒木に気づくのが遅れます。
倒木を潜る時に頭を打ったようで「いたー」という家内の声が後ろから聞こえて来ました。
国道1号を歩道トンネルで潜り抜け、清水山を上ると東山山頂公園の広場です。
途中コンビニで調達するつもりでお昼の準備をして来なかったため、おやつのチョコレートとリュックに入れておいたウィスキーの角瓶が昼食替わりです。
少し酩酊気分で粟田口まで下って蹴上駅に着き、4時間ほどかかった東山コースの前半が終わりました。
京都一周トレイル【東山コース伏見・深草ルート】令和2年2月6日)
京都一周トレイルは、市民の健康増進と京都のすばらしい自然景観や山麓に点在する歴史的遺産・文化財に触れることを目的に整備されたハイキングコースです。
京都市街を取り囲む山々を中心に、全長約84キロのコースと、京北エリアに全長約50キロのコースがあります。
和歌山や三重の熊野古道を何回かに分けて歩いて来ましたが、身近な京都に整備されたハイキングコースがあることを知り、先日伏見桃山から伏見稲荷大社に至る約10kmのコースを家内と歩いてきました。
伏見稲荷駅近くで参拝客用の無料の駐車場を見つけましたが、閉門時間が早くて戻れないかも知れないため、車はコインパーキングに止めました。
スーパーでお弁当を買って京阪電車で伏見稲荷駅から伏見桃山駅に向かいます。
伏見桃山は伏見の中心部で近鉄やJRの駅も近く、交通の便の良い賑やかな所です。
駅を降りて東に向かうと、伏見城の大手門を移したとされる表門が堂々とした構えの御香宮(ごこうのみや)神社があります。
伝承によると、境内より良い香りの水が湧き出し、時の清和天皇から「御香宮」の名を賜ったそうです。
酒どころの伏見に相応しく、この湧き出た水は「御香水」として名水百選に選定されています。
通勤で使っているJR奈良線の踏切を越え、緑に覆われた桃山御陵(明治天皇陵)の裾を歩いて行くと乃木神社があります。
日露戦争を指揮し、陸軍大将を経て戦後は学習院院長を務めた乃木希典は、明治天皇の崩御を受けて妻と共に殉死しました。
そんな乃木に対し、同じ失敗を繰り返して多数の日本兵の犠牲にしたことで、司令官として能力がなかったと著しているのが司馬遼太郎の『殉死』です。
司馬史観の影響を受けて乃木に対して良い印象を持っていないので、複雑な気持ちでお参りしてきました。
神社を出て北へ進んで伏見桃山運動公園に入り、ここで復元された天守を仰ぎながら昼食をとりました。
丘陵の北端に伏見北堀公園があり、濠を思わせる水辺を通り大岩山に向かいます。
大岩山の展望所では伏見城や天王山が望め、遥か南には大阪の高層ビル群が見えます。
天王山は豊臣秀吉と明智光秀が戦い、この山を制した方が天下を取ることになるとして「天下分け目の天王山」という言葉で表現されます。
その方角には今、南側一面を鎧帷子の様な太陽光パネルをつけた京セラの本社ビルがひときわ高くそびえています。
大岩神社に向かう山道を下りて来ると、全体に彫刻が施された造形が不思議な空気を纏う堂本印象作の鳥居に出会います。
車の通る道に出て名神高速道路の下をくぐり真宗院の北側を東に向かうと、道は再び竹林に覆われます。
このあたりの竹林は不法投棄警告の看板が立つ荒れた所も多いのですが、土を布団の様に耕し筍畑にしている見事な竹林も数多くあります。
しばらく竹林の中を歩いていると何人もの外人とすれ違い、その中の一人が話しかけてきました。
English?/A little./Any place to see over there?/No./Just walk?/Just walk.
竹林を抜けると鳥居が立ち並ぶ稲荷山の巡拝道に出て、千本鳥居を通り抜けると本殿に下りることができます。
つんつるてんの着物を着た外国人がひしめき、登山スタイルの我々の方が場違いの様に感じられます。
4時間ほどのハイキングを終え、東急ハーベスト鷹峯の温泉でゆっくり疲れをとり、第1回の京都トレイルを終えました。